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更新日:2013年4月12日

尾母方言~ヤ行~

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ア行 カ行 サ行 タ行 ナ行 ハ行 マ行 ラ行 ワ行

徳之島尾母方言集

島口 標準語 用例・意味等
ヤァー
ヤーワイ=分家
ヤーワイヤ=分家のさいにもらう家。終戦直後まで農家のヤーワイヤは、股(マタ)柱(バラ)に、茅と竹の壁、床は竹を編んで板張はしない。一部は自家製の畳を敷き、残りは筵を敷いた九尺二間の埋柱で茅葺の家だった。家普請(新築、葺替、移転)の場合は、縁故の遠近によって物資、労力を奉仕する習俗がある。労力奉仕にヤテバン(雇飯)と言って数日賄い付きで働く。
ヤンキチシキバン(屋木引粥飯)と呼ばれる。極うすい粥のため屋根木(ヤンキチ)が粥に影を写す。亀津ヤンキチシキバンとは粥を啜っても子弟教育に徹する亀津断髪精神のこと。
俚諺
  • 親子人(ウヤックヮ)ば 家(ヤ)や持(ム)ち持(ム)ち
  • 旅行じか家ぬ芋壁(ギャクビ)忘(ワ)せんな。
ヤァー お前 目下の者の呼び名。貴方(ウイ)の反対。
ヤァッキャ ヤァッキャネスムン=卑称の意の呼び方。イャアと表記したほうが適当のように思える。
ヤァーイ 醜態 でき映えがよくないこと。
チクイヌ ヤァーヌ(容姿がよくない)
民謡

きょうだら歌(ウ)とん手ねすりば 吾声(ワークイ)ぐゎぬ悪(ヤーサ)て歌(ウ)てや成らぬや。

ヤァーチ 八つ 八回(ヤァーケイ)
ヤーネンジ 家人数 ヤームチヌ上手=家計の切り盛りがよい。また、女性側の結婚の別所。男性側はトジカメイ(刀自冠り・妻を持つ)と言い呼称が違う。家持ち即ち結婚したら一家を持つのでこの称があろう。
民謡

家(ヤ)持(ム)ち果報(カイ)良(ユ)し 夫(ウト)良(ユ)し妻(トジ)良し。

ヤカラ 喧嘩 ヤッケも同義語。
民謡

家から戻(ムド)とて妻(トジ)とヤカラや引(シ)き出(ジャ)ち
妻(トジ)ぬ上手者(ジョウジムン)や丼酒瓶(ドンブイカラカラ) 準備(ショウチ)して。

ヤキジミ 焼炭
木炭
毛筆用のすり墨と区別するために斯く呼ぶのか。小川学夫氏の採集した「炭焼五郎伝説」がある。昭和24年ごろまで自家用の炭焼小屋で焼いた。
ヤギョウ 屋形 棺桶の上に乗せる葬具の一つで形は家屋に似ている。ヤギュウの屋敷には鳥と魚(山幸、海幸?)の模型が飾られる。その意義は判明しない。ヤギョウは個人で造ったり、部落共同で使用するなど様々である。個人用は埋葬地点に置くのが常である。
ヤクジョウ   役所の転訛したものか。区長事務所のこと。役人がかって各部落に下部の島役人を置き、所要のときに出向く場としたのでこの称があるのか。
ヤクセン 片手相撲 ヤクセン カンバシ=強者が片手角力をとること。角力の勝敗にこだわらず遊び半分にとる。

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ヤクドシ 厄年 全般的には飢饉、大風、大波、洪水等の天災地変によって被害を受ける年。個人としては男43才、女33才の外災難に見舞われる年。占者の呪言により、或いは萬年暦等に運勢が示されている。建築、結婚、移転等はヤクドシの年は控える。
ヤクニャシ 役若者
若者
役人に縁を求めた官公史の別称にもなる。
ヤクメ 役目の転か。琉球王時代の官職ヤクモイの縁語か。役職を持った者。知識階級などへの尊称。
ヤジモラ   屋籠りの意。家に閉じこもって外を出歩かないこと。また、壁虎、守宮、やもりにもヤジモラと言う。
ヤセ 野菜 ヤセワァシ=野菜煮。野菜料理。亀津近郊の部落の主婦は自分で作った野菜を籠に背負って亀津の町並を売り歩いたものである。小銭を稼ぐためであった。
ヤタ 若しかすると
ひょっとすると
万が一
マタの転か。今は晴れていてもヤタ雨が降るかもわからない。
ヤチャ 針魚
野茶坊
ヤチンバ カマラン ヤチャ=焼不食魚。針魚は料理がしにくく食べるのに苦労する。
手がつけられない野暴者。
ヤチャネシュンムンヌ=針魚如き者が。
ヤチョ アンバヤチョ=油灸。油脂を使っての灸というから、火勢の強い灸のこと。
ヤチョヤキ=灸を据える。かっては灸による漢方医術が広く行なわれていた。また、幼児の教訓の辞にもアンバヤチョが登場したものである。
ヤックヮ 寝床

ねぐら
屋っ小、小屋の転移か。鶏のねぐらに普通いうが、人間の寝床にも通用する。
ヤックヮウテ=夕刻鶏がねぐらで歌う(鳴く)こと。ヤックヮウテは災禍の予告だと深く信じられていた。
ヤックヮマデ=寝床迷い。
ヤッシャゲ 醜態
見苦しい様子
イヤシ(卑)のイャッシャゲのイが省かれた形とみる。真、善、美の反対の称。
ヤッシャゲムン=心の悪い者、容姿が端麗でない者。

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ヤテバン 雇飯 雇われても賃金はなく、飯付きで労力奉仕すること。新築、移築、改築等の場合、数日または数十日にも及ぶことがあった。
ヤテワク=雇仕事。これは新しく田畑を購入したら近身の者が物品を贈り労力奉仕する。これは一日限りである。これらの返しは義理深く守られている。
ヤド
雨戸
キネン ヤドクラ=喜念戸閉。平素も雨戸を締切っている。これは全島の各部落の特色を全島口説に歌った例である。古くは雨戸の材料も島産の椎を使ったので重くて開閉には苦労した。恋仲の忍び合いには邪魔であったため、戸走りにチンゴ水(芭蕉の煮汁)を塗り戸の開閉を容易にしたと聞く。
ヤドイ 小舎
小屋
作場にある小屋。貧弱な住家の卑称。家敷内の畜舎。
サタヤドイ=砂糖炊き小屋
ウシヤドイ=牛小屋
ヤドイヤ=貧弱な住家
ヤトジ 家刀自
家妻
本妻
内妻
ヤトジの対は外妻(ハートジ)と呼ぶ。一夫多妻の習俗に関連ある語か。
ヤナグチ   激怒した状態に発する辞。
一息突殺されるぞ(チュウムジチークッサルメ)。
吾(ワン)ね打(ウ)ち殺(クッ)さるめ。断崖(フキ)かち穴落(チート)さらんち。
ヤナはイヤナのイが省かれたものか。再考したい。
ヤニ 来年 今年(クトシ)。去年(クド)。来来年(ナーインチュ)。一昨年(イチュナテ)。一昨々年(ユトナテ)。
民謡

遊(アシ)べ遊(アシ)べ遊(アシ)べ 今年来年(ヤニ)遊(アシ)べ
去来年(ナインチュ)んべか先や子(クヮ)産(ナ)ち前抱(メーダ)き。

ヤヌシ 家主
壁虎
やもり
一家に住付き他家に行かないことから家主の称号が与えられたのであろう。国語辞典には守宮とある。ヤヌシに噛まれると有毒だと言うが実例は聞かない。
ヤボ 野暴
野蛮
野暴者(ヤボムン)。野暴ジュウギ=大胆に。大規模。
ヤボジュギ シッカラゲテ タカシ=身分不相応な土地を耕作する。シッカラゲテは集めて、タカは財産、田畑の意。
ヤマアマン 山蜘蛛 蜘蛛のほか宿借にもアマンと呼ぶ。大和(ヤマト)蜘蛛。田(タ)蜘蛛、家蜘蛛(アマンクブ)。アマンギリ(乱雑な散髪)とは蜘蛛の糸巣にちなんだ言い方か、宿借が鋏で無雑作にはさむことに由来した語の何れかであろう。また、山の定義は難しく、森林、藪、竹藪、茅山のほか、耕地が荒廃したところにも言う。
ヤマガジャン 山蚊
やぶ蚊
足長蚊の異名。

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ヤマガミ 山神 山方のこと。年2回米1升3合3勺、焼酎2号で祀る。木材を伐採するとき、山下しのときに山神信者が祀る。井之川の杉直明氏の場合は世襲ではないようであるが、犬田布の牧栄生氏は代々山神を世襲している。後者の場合は多くの信徒もいて定期的に祭祀が行われている。山大工(デェク)は伐採に先立つ神事、山神に許しを得る意。下(シュ)大工は、建築工事を始める神事で、作業の安泰、一家の安全を祈る意。新築祝いとそれぞれの祝詞があり、厳しゅくな神事が行なわれる。杉氏の記録は徳之島採集手帖5号(1969・2・10発行)に、牧氏のは徳之島郷土研究会報1号(昭和42・10発行)にそれぞれ筆者が拙稿がある。
ヤマシ 山猪 シシの項に詳記がある。
ヤマシ 乱暴
凶暴
乱暴者(ヤマシムン)。喧嘩の強い者。
ヤマシュ 山潮
洪水
本来は急激な洪水に言う。即ち川水が潮のように満水状態となり、橋梁を流し堤防を越すことにもなる。
ヤマト 大和 本土をさす。内地本土はすべて大和と呼ぶ。
民謡
  • ヤマトいしゅぎら 初々(ハチバチ)ど取ゆり
    作(チク)てさえ有(ア)りば 吾為(ワータメ)なゆりよ。
  • 斯くして(カシュテシュチ) しても(サンテ)誰(ター)為なるん
    大和いしゅぎらが 為どなるん。
藩政時代における島津氏の農民政策は砂糖搾取を中心に農民を死なさず生かさずの諺通りに奴隷扱いしてきたことが、この詞から読みとれる。
ヤマトムシ 蜚蠊 カラコゥとも呼ぶが、ゴキブリが和名。何故ヤマトムシと命名したのか、本土から移入した故に斯く呼ぶのであろう。古老はヤマトムシが飛び交うと雨が近づいたと言うが根拠はない。
ヤミュイ 病み
痛み
腹痛(ワタヤミ)み。病人見舞(ヤミッチュウミメー)。
民謡

肝(キム)痛(ヤミュ)むな 腹立ちな二才達(ネセンキャー)。

ヤモイ 二日酔い 酒飲が過ぎて酔が残り床につくこと。また、同時に他の病気もそく発し体調が悪いこと。
ヤラァイ 軟い 肉や骨が軟い。のように軟硬度を示す場合、態度や言語が軟いなど広く使用されている。
ヤリギン 破れ衣 ヤリギンチッコイ(破れ衣修繕)は、夜間の仕事(ユナベ)、雨天時の婦人(ワナグ)の内職であった。チッコイは繕うの転訛である。

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ヤン 蕃薯
ハンシン
ハンジン
甘藷
薩摩芋
ヤンの方名は伊仙地区に多く、天城はハンジンとシが濁る。中国のハンスの縁語とみるのは如何。
ヤンキチ 家木 茅葺屋根用の丸太。ヤンキチの上にユチリ(竹)を編み、その上に茅を並べて葺く。
ヤンキチシキバン=丸太が粥に景を写すほどに極うすい粥。詳細はヤァ(家)の項参照。
ヤンクビィ 家壁 かっての壁は茅壁(ギャンフビィ)がほとんどであった。島独特の茅壁は、内外に竹を編み中に茅を入れて葛で括り付ける。語義はカベがクビィになったまでである。茅壁は通風が悪いうえに、鼠の巣窟となり非衛生的であった。しかし分家、貧者は股柱(マタバラ)に茅壁の家に住むのが精一杯であった。
俚諺
  • 夜(ユル)ぬ家壁や人(チュウ)。
    ※人の悪口は軽く言うべきでない。
  • 二十三夜の神様や ヤンクビィな下(サ)がてんば拝(ウガ)め。
ヤンゴ 屋仁川
料理屋
女郎屋
ヤンゴバリ=亀津北区の旧飲み屋街の総称。亀津での料理屋の始祖は、肥後佐吉氏で明治30年南区の丹向晴近隣に始めたが明治42年に現位置に「イロハ屋」の称号で開業したとのこと。また、名瀬市の場合は屋仁川通りに明治の末期に遊里が設定されたが、関係当局が風紀取締りの上のうえから集めたものである。古仁屋の場合は少しおくれて名瀬をまねて、大正の初めごろヤンゴ地区が設けられた。(名瀬・古仁屋の記録は奄美郷土研究会報11号「ヤンゴの語源」金久正氏の論文による。)
俗歌

日高丸 甲板の上から 名瀬ぬヤンゴ見りば
名瀬ぬ美人達(キュラムンキャ)ぬ ハンカチ招(マ)んきゅさ哉。

ヤンチヂ 家頂
屋根
かって死の直前まさに息が切れそうになると、アビケシ(呼び起し・呼び返し)と称して屋根の茅を剥いで穴から大音声に呼び返す。名前を繰り返し呼び、「道はそこではなく、こちらだ。」と霊魂が身体より分離することを呼び止める。非科学的だと言えばそれまでだが、アビケシによって生き返った人がいる。と島の人は信じていた。新築の神事「ミヤゲフキ」の飯はヤンチヂの見えない地点で食べる。このほかヤンチヂの民俗は多く生活の場に根を張っていると言える。
ヤンチュ 家人
下男
下女
ヤテ(雇?)とも言う。これらの子に膝生と称し、親子二代にわたって主家の為に奴隷扱いされてきた。終生労働に服するが出家には砂糖2千斤が必要であった。
ヤンヌチ 家内
屋内
家の内の義。
ヤンバラ   基準以上に大きい。締まりがない場合にも通用する。沖縄の「山原船」にちなんだ語ではなかろうか。再考を要する。強いてこじつけるなら「家原」の広さに由来したのか?。特に人間、動物器具に通用する。
ヤンブ   見苦しい容姿。長髪を手入れもしない姿。また、綻びた衣を着た女。
ウガシガリ ヤンブ ウックェテ(徹底的に醜態になって)ウガシガリはそんなにまで、ウックェは身嗜が全くない。山伏(ヤンブ)姿も回想するが後考にまつ。
ヤンブイ 蘇鉄実 ヤンブイトグヮ=丸々と太った赤子の称。蘇鉄は徳之島小史によると、「今を去る400年前手々村に政勝と云ふ射的の名人あり大島諸鈍城に開催されし射的大会へ選手に抜擢せられて出会し数百間の先方にある而も風に動いて止まざる「サンキラ」を一回にて一寸、二回にて二寸、三回にて三寸、四回にて四寸、五回にて五寸、射切り、城主より賞として小銃を授けられたが之を断り庭園の蘇鉄を代りに持ち帰り手々の自宅に植え付けた。これが徳之島の蘇鉄の元祖である。」とある。
蘇鉄の実と茎は数百年来、島人の食料となり飢餓から救ってくれた命の恩があると言えよう。ヤンブイ飯、ヤンブイ味噌、ヤンブイ団子など馴染深い。
ヤンメェ 家前
メェーの部参照。「話をする亀」の昔話は全島に残っているが、欲張りの兄に亀を叩き割られたら、孝行者の弟は亀の破片をヤンメに埋めた。そこから金竹が生えて天に届くように成長し、天女を慕って昇天する地界の者は、この竹を昇って行った。」と・・・
・「ムチムレウタ」=道行き、家の入り口、ヤンメお礼の唄と区別があるが、ヤンメでの詞は豊作感謝と予祝の意味を歌う。

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お問い合わせ

所属課室:社会教育課郷土資料館

鹿児島県大島郡徳之島町亀津2918番地

電話番号:0997-82-2908

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