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更新日:2013年4月12日

尾母方言~ナ行~

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ア行 カ行 サ行 タ行 ハ行 マ行 ヤ行 ラ行 ワ行

徳之島尾母方言集

島口 標準語 用例・意味等

名前
名誉
ナチケユェ=名付祝い

「上代では子の命名権は母にあったのであろう。書記神代下の一書にも、「天孫就而問日 児名何称者当可乎」と豊玉姫に問うたと伝えている。

ワレナ=童名。明治の頃は、ワレナと戸籍名の二本立てであった。普通の呼称はワレナで通していた。明治の戸籍法制定以前は、出生届も形式的で戸長が年一回の人頭調査がある程度の粗雑なものであった。藩政時代の氏名についてみると、氏は砂糖の貢物を多量にした者や公共奉仕の顕著な者(徳和瀬池の築工・亀津の郷士溜り築港(未了)等)に恩賜として与えた。姓の文字は一字から二字に変わった。
名は霊力にあやかって先祖のそれを継承する例が多く見られ、戸籍面でのトラブルもあったと聞く。
俚諺

得(トク) 取(ト)らゆか 名(ナ)取れ。

ナァ ナァド ウマカチ イジ=丁度今そちららへ行った。
ナァンベ=近頃、今日この頃。今頃(ナンベ)ぬ童(ワレ)ん達(キャ)や口返答(カジ)ぬ多(ホー)ぬ 捌(サバ)くららい。
民謡

今(ナン)たな待(マ)っちゅる正月(ガチ) 今宵(ユサイ)迄(ガデ)正月
今宵(ユサイ)夜(ユ)ぬ節(シチ)や 夜(ユ)明(ア)け遊(アン)ばや。

ナァイチュ=再来年。イチュは二年の意。イチュナテ=一昨年。二年忌にもイチュと言う。従って二年前と二年後にくる年のこと。過去を表記する去年(クド)、二年(イチュ)、三年(ミチュ)、四年(ユト)、七年(ナナト)の例がある。
ナーアチャ=翌日、アチャは明日、今日の次の日。
ナード 無胴
無自分
軽い気持ち等考えられる。何一つ持参しないで。
ワンガリナードナテ=私は手ぶらで。
ナーシ=効無し仕事、無駄仕事。骨折り。
ナーバラ 中柱
大黒柱
拙稿徳之島郷土研究会報5号「ミヤゲフキ考」の建築儀礼の神事に使う米は風呂敷に包んで中柱に吊す。ミヤゲ飯の呪力による家屋の安泰祈願を意味する行為とする。また新嫁が中柱に腰掛けて婿と三三九度の盃をかわす。
ナイ ナイノシュ=苗代
ナイノシュシチケリ=苗代準備。旧正月初旬頃に播種するので、それまで竹の葉や青草を刈り込み地拵えをした。
ナイ 地震 ナイヌユジン=地震で地面が揺れた。ナイは書記にみられる地震の古語。
ナイ
果実
ナリとも言う。実がナルの縁語か。
蘇鉄の実(ナイ)
ナイ 少し ナイグヮ=小量。ナングヮも同義語で、グヮは愛称。
ナガシ 梅雨
つゆ
ナガメ=長雨。ナガメサンとも言う。長雨時。
ナガムン 長物
竹や木の俗称。農耕儀礼の忌(イム)日に青竹や薪木、青野菜を一切家の中に持ちこまない。従って食事も外で炊いて食べ、一日じゅう外にいて夕刻に家に入る。呪者の祭詞がある。(アヤの項参照)

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ナガリバシ 流れ橋 禍のこと。
俚諺

物(ムン)言(イ)う者(ムン)や 流(ナガ)り橋(バシ)な積(チ)まゆん
※余計なことを言うと禍が身に及ぶこと。

ナガワタ 長腹 ワタは腹の意で、腸、小腸のこと。
ワタヤミ=腹痛
ワタドーサク=腹胴の称。戦前のこと、経済生活は貧しく、しかも医学のレベルも極度に低劣であったため、ワタヤミの治療方法も珍しい手があった。少々の腹痛の場合、主婦は”クシュタマグ”(胡椒卵焼)を与えたものである。子供心にそれで回復したと小踊りして馳走にあずかったものである。現金収入の道が殆んどなかった当時のこと、一個の卵も現金にかえて茶の葉や日用品代にするのが主婦の世帯経済の切り盛りの腕の見せどころであった。
ナキッシャ 泣く
泣きめそ
ナキッシャムン=泣き虫。大人が子供に、そして子供同志で相手をけなす卑称。人生儀礼の一つ、赤子の夜泣きが激しい時にはクヮクィリ(子供をくれる)の儀礼をする。赤子の相性に合った婦人を選んで仮親にして、一夜または数日寝泊りを共にする。
ナクサミ 慰み 文字通り心身の安らぎを図る。島の年中行事の打ち角力、踊り、闘牛、綱引など遊興行事に、「ナクサミ」と呼んでいる。ナクサミとは現在のレクリエーションと同じ意味と考えられる。厳しゅくな神事の後の行楽にもナクサミと呼ぶ。
ウタナクサミ=歌慰み
全島ナクサミ=全島角力、全島闘牛大会。今日のように交通状況がよくなかった頃は、島を股に歩いてナクサミ観覧をし心をナグサメタものである。遠方に行く時は一番鶏が鳴く午前2時頃から歩き始めるが、竹筒の松明を照明にした。腰にはトヌゲ(手拭い)で包んだ脂味噌入りの大きな握り飯をさげ、意気揚揚と闊歩したものである。
ナグリムン 無頼漢 役に立たない者。流れ者の意か。
ナゴロゥ 名残り
名残惜しい
心残りがする。
ナシ 産す
産む
生す
クヮナチ=出産した
クガナチ=産卵
竹取物語

おのがナサヌ子なれば・・・・・
心にも従わず。

俚諺
  • 子(クワ)産(ナ)ち親(ウヤ)愛(カナ)あ思(ウモ)ゆ。
  • 物(ムン)し奇麗(ギュラ)ど子産(ナ)し奇麗。

「神の身に生(ナ)れる物は、陰(ホト)に麦生(ナ)り。」とある。

ナシギラ 生れ損い 産し切れの意。一腹に出産した数頭の子豚のうち必ず一頭はナシギラと称される。普通以下の小さい子豚がいる。このことからすれば本来の義は成育の悪いことの称ともとれよう。
ナシンキ   産し置きの義からしてナシオキの転訛か。明治の家人(ヤンチュウ)制度の頃の家人の子供のこと。大地主は家人と称する奴隷、農奴を使役していた。家人の子供にナシンキと名付け、終生本家で労働に従わねばならなかった。家人、ナシンキとも身代糖数千斤を納めることによって身は自由になった。明治4年農奴解放令によって制度は改変された。家人やナシンキの住まいには、トグラか家敷内に建てた堀立小屋が使われ数人または数十人、中には数百人に及ぶ場合もあったと言う。
金久好著「奄美大島における「家人」の研究」には詳細な報告がなされている。
ナシンド 流産 ナシは産すの義であるが、ドは自分、胴の何れか不明。妊婦の保護知識の不足もさることながら、労働が唯一の経済力であったため過労になる場合が多く、そのために流産する例は少なくなかった。

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ナタ 同年輩
仲間
ナタヤナタジョウ=仲間同志、同類の集団。
ナダ ナミダの訛り。
ナチギャイ 夏枯れ
端境期
新米が古米に入れ変わって出はじめる頃。目長6月とは、食料不足で栄養も欠乏しがち、昼時間は長く体の張り合いはなく、眼は細く沈み、どことなく活気を欠くのであった。
シッピバンシン=多水分蕃薯がナチギャイの唯一の食料であった。
ナチグリ 夏雨
夏期雨
伊仙町中山のミヤル女神のもとに、犬田布のミュウガン男神が千夜通いをした時の歌に次の詞がある。

男)愛(カナ)さ打ちふりて さびち川や渡て 降らぬ夏雨(ナチグリ)に み袖ぬらち
女)振らぬ夏雨に 何故み袖ぬらちゃ 腕枕しど ぬらちゃんされ
男)千夜通わち 一(チュウ)夜はだ知らさじ 吾(ワン)や悪(ワサ)くねんど 汝(ヤ)が悪さんど
女)千夜通うてよ はだ知らんど 一気(チュウムジ)さし殺(クツ)し 一(チュウ)道ならだるや

ナデグテ 撫で牡牛 クテウシ=男牛
俚諺

ナァ牡牛(グテ)一人(チュイ)ぬ口減(ヒ)ぎ。
※牡牛は丁寧に飼え、使用人一人減ずるまでも。

ナナクラ 七倉 七倉が建つ程に経済力が強くなる意。
俚諺

夫婦(トジュト)ぬ七才(ナナチ)違(チグ)や 七蔵(ナナクラ)建(タ)てゆん。
天羽衣伝説の詞に、六(ムツ)股倉、八(ヤツ)股倉の柱の下に衣を隠してあることを姉が歌ったと伝える。

ナバ
きのこ
松茸
きのこなど大形の菌類の通称。
ナバイシ=茸石、珊瑚礁のこと。古く墓石にはナバ石を建てた。
ナラバキ   奄美史談・徳之島事情によると「ナラビビキの転訛である。男女宴会の席上で酔酣すると戯飲酒をなすことがあり、是れ男女情好を結ぶの習俗なりと言う。其の挙動は坐中酒具の酒を口に含み、女は男の口に当て之を吐き移し、男もまた酒を含みて女の口中に吐く。斯の如くすること屢にすれば、其の情倍密にして実に傍観者は其の醜態を怪感するも、土人は敢て之を怪まず、此の戯飲は西目間切与名間村、手々村辺に最も行わるる弊習なり。」其の由来を尋ねるに琉球国国頭郡山原地方に於ては、男女酒宴の時、膝を並べて同杯同器の酒肴を飲食することあり。之を「ナラビビキ」と謂う。其の男女の情好あるを本島に伝来して、其の名を音変し「ナバラキ」と名づけたるものなるべしと謂う。近来は此弊絶えてなし。」とある。現今の接吻、口づけ以上の挙動であったと言える。
ナバン 南蛮(梅毒)
痳病
南蛮貿易によって南から搬入された病菌であるとの考えから付けられた。ナバンガサ=南蛮瘡、料理屋の遊女の持病から彼等の卑称にも言う。徳之島全島口説では、かっての外港のあったS部落の特色を「南蛮瘡流行(ハマ)ちゃんどやSの村」と歌っている。
ナビラ 糸瓜
へちま
民謡

七月七日や ナビラ染めて
白(シラ)紙な 状書ち 垣な振らしょや。

七夕に使う色紙がなかった時代には白紙を赤土、木の実、木の皮、草の葉などで染めて使ったと言う。

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ナマ 生ま
半ば
ナマアチアイ=なま暑い。半(ナマ)物識り。
ナマシギョロイ=薄ら寒い
ナマシー=半ば仕事
ナマブイ=半降り
民謡

雨ぬナマ振りや道ぬ滑(ナブ)るさぬョイヤ
思女(ムゾ)とナマ降りや吾(ワ)肝(キム)痛(ヤ)みゅじや。

俚諺

生(ナマ)物(ムン)知りぬ大(フゥ)痕ぬ基(ムト)。
※軽々しくことを処すると取り返しのつかないことになる。

ナマシ   ナマスも同義語。刺身料理の称。生魚肉、生野菜に醤油を付けて食べる料理名。
世間胸算用

「鰯(いわし)鱠(ナマス)を片皿に、赤鰯の焼物・・・」とある。

ナメ 牝牛 発情のとき陰部から出る液状の物質の称。
ナメタラチ=粘液を垂らして、激しく鳴く場合は発情の確認が容易である。全く平静である牛はナメによって確かめる他に手がない。
ナルカミ 鳴る神

雷鳴
ナルカンガナシ=鳴神加那支。天神が怒りゴロゴロ騒ぎ立てるとの発想は、原始宗教観のシャーマニズムに通ずるものと思う。幼少時代の遊びの一つイイキリバナシ(ナゾナゾ)で「打たん太鼓の鳴る太鼓」?がよく話題を賑わしたものである。「カンナイマメ」(神鳴・雷豆)の俗名も雨天時の実りや、根りゅうバクテリアの形成と自然関係のみでなく、信仰との縁もあったことも考えられる。
ナロイ 習い
習得する
テナライ=手習い、勉学のこと。
俚諺

悪者(ワルムン)と遊(アン)でか 悪口習(ナロ)ゆい
善人(イッチュ)と遊でか 善事(イーフト)しゅん。

民謡

武士(サムレ)ぬ大(ダイ)むとや 学問手習い
よく習て・・・。

ナンカ 七日 一(チュ)ナンカ=一週間。七日間または七回目の忌日のこと。
二(タ)ナンカ=二週間
ナンカセク=七日節句、正月七日の節句。この日七草雑炊を炊いて食べる。七才の幼児は近親七家を回って豚骨と雑炊、塩包みをもらい、祖先棚、火の神に供えて食べる。
俚諺

一日(チィー)後(ウク)りてか 七日(ナンカ)後りゅん。

ナンカセク 七日節句
正月七日
終わり正月を惜しみ楽しむ意味で子供たちが集まって遊ぶ。大人も酒宴をして打ち興じる。
ナンカドーセイ 七日雑炊
七草粥
各家では塩豚骨を前夜より煮て準備し七草を入れて炊く。
ナナクセドセバン=七草雑炊
ナンギ 難儀
苦労
ナンギシャムン=難儀者、貧乏人。
俚諺

難儀ぬ後(アト)や 御馳走(クワツキ)。

ナンコゥ 箸戦 酒宴場で三本宛の箸を持ち、交互に相手の本数を当てるゲーム。負けたら一杯飲まされる掟。
ハシリナンコゥ=走り箸戦
ユェナンコウ=祝い箸戦。空手はなく、持ち込み祝い寿ぐ意味の箸戦。天城町当部の「当部ナンコゥ」(徳之島事情27P)
ナンタ なめくじ
蛞蝓
「ナンタクジラ」とも言う。相手の卑称に「ナンタネシュムンヌ」と用いる。
ナンヂキ   鍋付の義か。鍋に焦付く。飯、芋、砂糖のナンジキ。また同一職場や地域に長年月の間、住み付くことにもナンヂキチッチと言う。失敗した場合にも同様に用いる。ヂキ=底部に固まる。
シルヌヂキ=汁の実
ヂキチ=水分不足で固まる。水田の土壌が柔らかくならない状態のこと。
ナンベ 今時
近頃
今頃
ナは今で、ベは頃の意か。
「ナンベヌ ワレンキャヤ ムンイュシ キキャン」
(近頃の童達はいいつけをきかない。)
民謡

肝(キム)痛(ヤ)まさん為や 平素(カネテ)から言ちゃんせ
今頃(ナンベ)に肝痛みゅし 己自身(ユンド)ぬ弱点(ユワイ)や。

ナンボ   陰部に体毛がはえていない様子に言う。
ナンボヂラ=トーチカ心臓。顔の皮が厚い者の称。反応を全く示さない者。
ナンボ 滑る ナンボミチ=粘土の滑る道
ナンボクギ=泥道での滑り遊び。クギは漕ぐことで動作を意味している。

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お問い合わせ

所属課室:社会教育課郷土資料館

鹿児島県大島郡徳之島町亀津2918番地

電話番号:0997-82-2908

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