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更新日:2013年4月12日

尾母方言~チ行~

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ア行 カ行 サ行 ナ行 ハ行 マ行 ヤ行 ラ行 ワ行

徳之島尾母方言集

島口 標準語 用例・意味等
 
チィ チィクレグヮ=乳飲み子
チィクレバ=乳歯
チィムレ=乳貰い。主産後の乳貰い。
チィウヤ=乳親。母乳がない場合に貰い乳をするのでこの称がある。
チィブク=乳房
チィバレ=乳が腫れる
俚諺

泣きゅん子(グヮ)ねど 乳(チィ)飲(ヌ)ましゅん。
※泣いて来れば即ち頼って来ればこそ助けてやる。


「蛤貝比賣、待ち受けて、母の乳汁を塗りしかば、麗しき杜夫に成りて、山で遊行びき。」とあり、女性の分泌物は呪力があると信じられてきた。

チィタチ 一日 一日、十五日は祭礼日。
チィチャル=一日中。チィは一日、チャルは終日の意。チャルワク=終日の仕事。
一日、二日(フチカ)、三日(ミキャ)、四日(ユワ)、五日(イチカ)、六日(ムユカ)、七日(ナンカ)、八日(ヤウカ)、九日(クンカ)、十日(トワ)。
俚諺

一日(チィ)後(ウク)れてか 七日後りゅん。
※一日の遅れが七日の遅れにもなる。

俚諺

一日後りてか 十日不食(クレ)ゆん。
※作物を植える時、一日遅れると十日も不食しなければならないようになる。

チカ   数量の単位。水稲の苗束を数える単位。
チュチカ=苗束3把
チュヌキ=30把。苗代の広さや、田の広さを苗束で示す場合もある。五(イチ)ヌキシキ=150把の苗を植える広さの意。水稲苗の売買の場合にも1チカ、1ヌキ単位になる。
チカノテ 飼育
養って
チカネムン=飼い物の義で家畜のこと。
チカネウェー=飼い分け。自己資金で家畜を購入できない貧農の人達が、家畜の牝を預って飼育し産んだ仔を分け合う習俗。また家畜の価格が騰貴した分を平等に分け合う方法もあった。
俚諺

大金玉(ウーダマ)やっくゎん養(チカノ)って何(ヌ)しゅんが

民謡

粟(オン)草しめりば粟(オー)ぐゎや摺落(シリト)ち
稲ん草しめりば稲ぐゎや摺落ち。

チカンバク 棺箱 チカは塚の意か。徳之島の神之嶺では墓石がなく。土を山状に盛り上げる塚型の墓所があり、塚に埋める箱の意義から”塚箱”と呼んだのか不明。亀津では石室にチカンバクを入れ石蓋をなし、土を被せて塚を立てる葬法が特定の富家でなされていた。花徳では死体を甕に入れて土中に埋葬する習俗があった。
チガ
ます
一合枡には”チブ”と言って”チガ”とは区別されている。五合、一升枡が広く使用されている。
チュウチガ=一枡
チガナー=五合
チガギリ=米を計るときに量目不足。
チキャイ 短い
近い
チキャク ヤマトカラ ムドルンベ=近日本土から帰ってくるらしい。
クンフクヤ チキャーヌ キラライ=この洋服は短くて着れない。
この様に空間的な遠近の場合と、物の長短を区別なく使っている。
俚諺

短(チキャ)や長ねどからまゆん。

俚諺

遠方(トハ)はぬ親類(キョーデ)ゆか近隣(チキャバ)ぬ他(チュ)人。

チキョイ 付き合う
交際
俚諺

付合(チキョテ)てか兄弟(キョウデ)。
※親しく交われば兄弟のようになる。

チクゥ
ふくろう
徳之島町尾母にチクゥにまつわる伝えがある。
「後塔山(ウシュント)ぬ人命(チュワ)捕(ト)ら梟(チクゥ)」と称して、この山の梟が鳴くと人の生命を奪うと考えられてきた。現在も民家の近くに来て鳴くと縁起が悪いと言われる。
ミンチクゥ=耳梟
ニャウチクウ=猫梟の方名を聞く。

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チグ   山野に自生している棕櫚に似た植物。強い繊維がとれるので、古くは貴重であった。繊維は綱の原料になるばかりでなく、籠の緒、草履、引綱、蓑などの材料として使用された。藩政時代の入貢品の一つになっていたことが記録にみられる。(道之島代官記集成)
チグデ 縮んで チジデ(縮んで)の訛りか。鳥類が羽毛が立って生気を失っている状態や、植物が萎縮ししなびている状態の形容に使う。
トイヌ チグテ シニュゲイ=鶏が病弱で痩せこけて縮こまり死にそうである。
チケ 付け
告げ
付き合い(交際)
招待すること。祝いに客を招待する行為に、「チュウ チケシ」と呼ぶ。
俚諺

他人(チュウ)交際(チケ)一番 諸作(ムンチクイ)二番
※どんなに多忙であっても社交を怠るな。

チゲ 関節 チゲチゲヌ、ヤデ=関節の痛み。
ツギ=継ぎ。骨と骨の継ぎの意か。
民謡

吾(ワ)んや子(クゥ)ぐぇ身ぐゎぬぼちぽち、抜げて骨(フネ)ぐゎぬチゲチゲ剥がりて

チコイ 使い
使う
チコルン、チコユン=使用する
チュウ チコイ=人を雇って仕事をする
チケハギ=労の度を越す
チケウシ=役牛
チケベン=使用人。家人(ヤンチュウ)にもいう。
俚諺

人(チュ)使用(チコ)ゆん人や 片目と片耳塞(ミンサ)ぎ。
※人を使役する者はあまり干渉するな、見ぬふり聞かぬふりをせよ。

チジ 籾の粒 ムミチジ=鶏の胃袋。胃袋の中の籾が外部より見られるのでかく呼ぶのか。
チュウチジ=一粒。シジと同義語か。チュウシジインガヌックヮ=一人息子。一粒種子。
チジュイ 千鳥
浜千鳥
チドリの転訛
チジン
マチジン=真頂。旋毛。つむじのこと。
ターチマチジン=二つ旋毛。野暮者の象徴として嫌われる傾向があった。
シジ=頂、嶺。
ナーシジ=中頂
ヤチジン=屋根
チチ ツツの転訛。火吹竹のこと。火神のいる聖地で用いる器具であることから、火吹竹は他の使用をタブーとしている。特に不潔な場での使用や持ちこみを嫌ったと伝える。
チヂン つづみ

太鼓
部落によって太鼓(チーク)、チヂンと呼称がまちまちである。
民謡

鼓(チヂン)ぐゎや出(イ)じゃち 唄待ちにすれば
吾(ワン)や誰(ダン)待ちゅんが 汝(ウイ)ど待つじょ。

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チックヮ チクラ 魚名。投げ網漁のできる瀬魚。
チッキ 搗く
突く
チキも同義語。
チッキグレ=大工の別称。のみを叩く形容からきている。
チッキクッシ=叩き殺す
チッキハギ=外傷の受け方。鳥(トイ)ぬ米チッキ散らち。杵にチッチと呼ぶところから杵の縁語か。
チッキリ 扛秤
はかり
竿製のはかり
チッキュル 縮む 髪の毛が自然に縮んでいる様子。
カンニンチッキュル=神之嶺部落にチッキュルが多かったと聞く。
民謡

チッキュルぬ沢山居(マンドンド)-や神之嶺(カンニン)ぬ村。

チッチ クメチッキ=米搗き。味噌搗き用の杵には”アジン”と区別している。
チテゥ 馳走 宴会場から持ち帰る料理のこと。料理でも開宴前の場合にはチトゥと言わない。食生活が貧しかった頃、村の遊興場や祝い座に、酒肴の重を持って行き、チトゥの馳走にあずかったことを記憶している。
チド
つばき
唾は呪力が強く、相手の力を弱める手段として様々な面にその偉力を発揮してきた。
  1. ”マッテブ”(赤蛇)を見たら三回唾をかけて逃がせ。
  2. ”ケンムン”(化物・妖怪)に会ったら三回唾をかけて祓う。
  3. 犬神を入れる時に杯の酒に唾を入れて相手に飲ます。
  4. 青大将にも1.と同じ行為をする。

「爾に水を飲まさずて、御頸(クビ)のたまを解きて口に含みて、其の玉器に唾を入れたまひき。」-「唾と共にぱっと吐き入れられた。一種の呪術で、唾液の呪力によって玉を器にくっつけたのである。」

チナ
牛綱
十五夜綱
左綱
神之嶺部落の十五夜綱にまつわる習俗を紹介する。他部落と違っている点として、
  1. 綱は大生氏宅の庭でかく。
  2. 綱は引く前に、神石にこすり、三回家の中に引き入れてから道に出す。
  3. 綱引きで吉凶を判断した。
  4. 綱は一回中央から切断し、つないで引く。
  5. 引き終わった綱は不浄の地に捨てない。
※左綱にまつわる民俗は根強くしかも広く分布している。徳之島郷土研究会報No4松山光秀氏の報告があり、貴重な記録とされている。
チノ チノトギ=角研ぎ。闘牛の角を研ぐ。鋭い刃物で角先を研ぐ。
チノキリ=角切り。綱切り。転じて自由自在にできる立場。
チノ=腫物の突起部分
チノギ=女性の陰部の突起部分
イビヂノ=蝦角、蝦の構えの形容
ハテラヂノ=平角
テンヂノ=天向角
俚諺

親や牛ぬ毛程(フド)、子(クヮ)や牛ぬ角(チノ)ぬ程。

チバガサ
ふき
蕗傘
蕗の葉は傘状になっている。チバハとも言う。蕗の若芽を煮て水に漬け苦みを除いて食用にする。乾燥チバハは保存食ともなる。食料不足の世において副食物として貴重な扱いを受けた。チバハドゥセバン(蕗雑炊飯)は、田植え雑炊飯として親しまれてきたが、現在全く見られない。蕗は水田苗代の緑肥として、その葉は乾燥後ちり紙代用として大いに役立った。また、”イチュンゲガサ”(苺傘)、野苺の葉も広く用いられた。

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ヂバタ 地機
改良機
高機以前の織機のこと。高さが低く、地に座した姿勢で織る。構造も高機とは若干異なる。昭和44年徳之島徳和瀬で県の指定でジバタを一台造り、”バッシャギン”(芭蕉布衣)を織った。機の製作過程から、芭蕉の繊維のとり方、そして織り方と一連の記録がなされた。(シマバタの項に関連資料あり。)
チビィ   芋の両端の部分。または端のこと。
チビィバンシン=小芋
コンチビ=川尻
民謡

油(アンバ)餅(ムチ)ぬ欲(フ)さち 足高や共(シケ)て
とんと挟(ハサ)またんと 餅ぬチビよ。

チブ 急所
灸の急所
痛みの急所
チブドコロ=急所
チブチカッテ=闘牛の頭の急所を角で突かれて。
チブミンガッテ=要所を発見されて、捕えられて。
チブ   植物の若芽。甘蔗の若芽、一般的には植物の若芽のこと。
チブチブ フデテ=すくすくと伸びて。年若い男女の称。
チブイ 女装 女性の和服の着方で、衣の裾を引き上げて紐で絞めること。腹部にあたる部分を締める。シブイ、シボイ、絞るの縁語か。
チブル 南瓜
夕顔
トゥチブル=唐南瓜
トゥチブルウッカン=南瓜頭。知能の低い頭の卑称。俗謡の一節に

唐南瓜唐南瓜 誰(タン)が泣かちゃん
冬瓜(シブイ)ぬ泣かちゃん 誰(タン)が泣かちゃん
泣きゅなよ泣きゅなよ 唐南瓜(トゥチブル)ぐぇー
吾(ワ)が拳骨(テンガブ)かめらしゅんど。

ナハチブル=沖縄頭骨、那覇頭蓋骨の祟りは恐れられ、霊地への立ち入りや草木の刈り取りは絶対しなかった。
チブンダチ 発情 遊女への悪口。異性遊び者の卑称にも用いる。
ヂマメ 地豆
落花生
台湾ジマメ=実の小さい品種で台湾から移入したと伝える。他の豆の多くが地上に実るのに反して、地にできる例えからこの称があるのであろう。
「ミヤゲフキの祭詞に」「四(ユーチ)ぬ 隅(シン)な 米俵(ドラ)豆俵積上(チミヤ)げて・・・・」と畑作地帯の特色が詳細に歌われていて興味深い。徳之島郷土研究会報No5「徳之島のミヤゲフキ考」筆者の拙稿がある。
チマルキ   衣類の裾をからげること。束ねることにマルキと言うことから、衣の裾を束ねる形容と結びつけた語か。雨天に粘土の小径路を歩くには、チマルキ姿でないと通れなかった。
チミィ 夜爪を切ると悪いとの俗信がある。

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チムギ
大島紬
沖縄の久米島から伝来したものだと言われる。大奄美史によれば「大永1年(1521年)久米島人が支那で織物養蚕の法を習ひ帰りて之を島民に教ふ。享保5年(1720年)薩藩の禁令文に与人、横目、目指、筆子、掟までの役人には紬の着用を許すけれども、右以下の着には紬の着用を一切許さない。享保14年(1729年)地租、増課の時、桑樹一株につき夏綿(夏繭より取った真綿)三匁ずつ課せられたことが日記にあるのをみても、大島では古くから養蚕業の行われたことが知られる。近代では明治25、6年頃から盛んになり、34年紬同業組合を組織し生産するようになったら全国至る処上流社会の需要するところとなった。」とある。
チモイ 運命
寿命
民謡

運命(チモイ)有てど 苦潮(インギャシュ)召(ミ)しょち。
人の生命は天から与えられたものと強く信じていた。

民謡

大和旅しか指(ウビ)折(ウ)て待ちゅり、後(クシュ)生(ウ)ぬ旅しか何(ヌ)読(ユ)で待ちゅる。
これが如実に物語ってくれる。弔詞にも”チモラッタ イノチ”と諦めムードがみられる。このように諦めと希望の両面があるように思う。

チモイ 積り
見積り
計測
見当
計り知れない
俗信

人(チュ)ぬ先と作物(ムンチクイ)ぬ先や不明(ワカラン)。

チャウイ 茶折 茶飲みの時刻。午前10時頃、午後3時頃の時刻のことで、食事の時刻とは区別される。
チャヌミ=茶飲み。近隣の茶飲み仲間が集まって雑談に花を咲かせる。
チャヌミドシ=茶飲み同志。茶桶と茶せんで泡茶をつくり、ナガラシュ(菜漬)をかてて飲む風情は今日まったく見られない。茶桶による振い茶は奥床しい茶道の流れであるのか不明である。現今も茶飲みの機会は多いが、古めかしい習俗は消滅しつつある。茶柱の縁起物語は茶飲み場に花を咲かせ、湯茶の愛好家のセリフの一つである。

”アンバチャ インキャゲリガ モインソレ”
(素晴しい茶酒肴の茶を召上がりに参り候え。)

チャセン 茶桶 茶桶に湯茶を入れて、竹割の”チャセン”でフルと泡が出る。泡のでき具合は湯の温度、水質など条件があり、老女の経験者が役にあたる。”チャセン”の製作は一本竹を割って先を細く分けて広げてつくる。後になって枝のある竹2、3本を括って作るようになった。
チャンクバク 茶小箱 茶副饗を入れる容器。
チャンシュケィ 茶副饗
茶酒肴
茶菓子
茶飲みどきの副饗。糠味噌(ミシュ)、油(ヤンバ)味噌、菜辛塩(ガラシュ)、豆腐粕(トンカシ)、蕃薯(ハンシン)、砂糖(サタ)などの”チャンシュケ”で茶を飲むのは情趣に富んでいる。
チャヂャワン 茶々碗
湯呑み
茶碗と区別される。
チャヂャワンダケ=湯呑み酒。年忌、雇(ヤテ)い仕事(ワク)、部落踊り等で、供え酒を客にすすめる場合は湯呑で焼酎を配り盛る。これに酒盛(サケムイ)と呼ぶ。
チュウ
他人
”チュウアラムン”人でなしの意。
チュウユイシ=人を雇う。
チュウクミ=人踏み。昭和14年頃までの子供の遊び。相手を踏み倒す勇敢な遊びで、地上や樹上でところ構わず足裏で踏み倒す。男子に限られた遊びであった。
チュウダマ=人魂、霊魂。
チュンマブイ=人霊。死霊が生霊を招くと考えられ、病人の家から青白い尾を引いて墓地に消える死人の霊。
チュウチキウシ=人突牛。雄牛はもとより雌牛も人を突く猛牛がいる。喧嘩をいどむ人の卑称にも用いる。
チュンコシ=人骨。頭骨。風葬地の頭骨のある洞穴にトールと言う。
ナハゴシ=那覇頭骨。その由来は明確でないが祟りは大変恐れられている。
俚諺
  • 善事(イイクト)しゅんしこ 人股(チュンマタ)くぐれ。
  • 人や盗人(ヌシド) 夜(ユル)や雨。
  • 人ぬ心やびら葉。
チュウタンビ=人頼み。
チュサバクイ=人捌き。面倒をみる。
チュウハンナゲ=人捨て、人の粕。
チュウウレマー=他人羡み。
チュンワニャクシ=冗談する。
チュウイキ 一息 俚諺

大(ウー)浪、大風ま一息。盗人(ヌシド)ぬ一担(カ)て。美人(キュラムン)ぬ一花。清(キュ)ら者(ムン)ぬ一癖(クセ)。

チュウナンカ=一週間。ナンカはナノカ。
ターナンカ=二週間。
チュウチキ=一月、二(ター)月、三(ミ)月、四(ユ)月、五(イッ)月、六(ム)月、七(ナナ)月、八(ヤ)月、九(クン)月、十(ト)月。

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チュウダラ 中皿 フーダラ=大皿
クダラ=小皿。
使用上より区別する。小皿は茶請、中皿には漬物、大皿は料理を入れる。
チュカ   支那語。支那の壺のこと。薬罐。茅葺建築のミヤゲフキ神事の際はチュカにミヤゲ飯を炊いた。カラカネチュカ=唐金壺(銅製)の湯沸器は湯が沸騰すると音を告げる。又、沸騰が早いなど貴重である。
チュツキャイブシ 一切節(チュツキャイブシ) 徳之島の民謡(久保けんお氏執筆)によると、「この唄は一般には、日露戦役のころ徴兵に取られるいやで、青年がその愛人に「ふたりで名瀬の方へ逃げよう」と言ったのが唄に取り入れられそれが人気を博して奄美全体に広がったと言われる。別に大島の久見の三味線ひき某画、妻の郷里(母間・麦田)にきて大島の「朝ばな節」を唄ったところ、そのハヤシ文句が面白く、何回も所望されてくりかえしているうちに、妻の妹が覚えてしまい、唄い歩くようになった。無邪気な姿が人々の微笑をさそい、またその片言の曲が傑作だというので、おとな達が真似てチュツキャリ節へと発展したという。以下略。
ちゅつきゃいぶし歌碑の建設趣意書によると、「今から60余年の昔の明治38年(西暦1905年)の頃、わが母間の扇間で、成ちよさんなどによって歌い出された「ちゅつきゃいぶし」は、その青春的即興的な歌詞の作り易さ、歌曲(ふし)の歌いよさ、そして人の心を捕える魅力のすばらしさ、面白さなどから、たちまち青年男女の間に非常な勢いで流行(はや)るようになりました。
例えば、ちよさんが、或る日、かなしが鹿児島みやげこうもりらんがさぐゎ・・・・と歌うと、次の日には十人がこれに和し、その次の日は百人にひろがると云う風に。(尼崎在住の米田めとさん=89歳=談)。
そして母間を往来する山(さん)、平土野、亀津、伊仙などの人たちも、すぐこの歌をおぼえて帰り、それぞれの村々ではやらせたので、2、3カ月のうちに徳之島全島で、半年後には大島全郡の津々浦々で歌われるようになったばかりでなく、遂には奄美人の行くところ、本土の各地はもとより、台湾、朝鮮から満洲の大陸でも口ずさまれ、又ロマンチックな船乗りさんたちによって遠く七つの海にも運ばれたのでありました。
その頃は、ラジオやテレビは勿論無く、流行歌のレコードなども少ない時代でありました。そんな時に当意即妙(とういそくみょう)なエスプリがそのまま歌になり、上手も下手もなく、誰もが気軽に歌えた「ちゅつきゃいぶし」であったので、日露戦争の戦勝気分にも乗って大変なブームを巻きおこしたのも当然だったと云えましょう。
実に、こんなにも爆発的に広くはやった例は他に例の少ないことであります。おそらく作られた歌は幾百首にも上るでしょう。そして半世紀を経た今日もなお歌い継がれているのです。
然るに当時の関係者はすでにほとんど亡くなられ、当初の仔細(しさい)を知る人も少なくなりました。しかも今になって、この歌が、或は山(さん)からはやった、或は犬田布辺が元祖らしいなどとの流説も出る始末であります。もしもこのままで年を過ごせば、やがては他の多くの奄美民謡と同じように、歌の由来も曖昧(あいまい)に成り、わが母間の誇るあたら文化財が有耶無耶(うやむや)に葬り去られないとも限りません。
そこで、往時の事情を知る方たちが少数ながら、まだご健在の今のうちに、その史実を明らかにして、これを銘記する歌碑を建て、併せて記念誌を刊行してわが母間の貴重な宝を千載の後までも伝えなくてはなりません。これこそ、一つには、わが母間の今は亡き即興歌人たちに対し、今のわれわれが果たすべき義務であると信じます。
全母間人の、こぞってのご協力を心から希う次第であります。」とあります。
民謡

徳之島一切節(チュツキャイ) 二つ切(キャ)り成さらんかや アレ二っ切り成さらんかや
一切りや愛人(カナ)が為 一切りや吾が為よ
我(ワッ)二人(タリ)談合(ダンゴ)ぐゎしゅて大(ウー)島ひん逃(ギ)ろや
大島や島近(チキャ)さぬ 鹿児島ひん逃(ギ)ろや
鹿児島島近さぬ 大阪ひん逃ろや
大阪行きゃ行きゅしが 見込ぬあれるかや
一切節歌(ウト)らら者(ムン)ね 熱(イチャ)蕃薯(バンシン)食(カ)ますなよ

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チュンシマ 他村落 シマは島ではなく部落の意。シマの項に詳記あり。
俚諺
  • 他村(チュンシマ)関係(カーイ)や牛乗(ヌ)い馬(マ)乗い
  • 他村結婚(ヤームチ)牛乗い馬乗い世帯(シュテ)や破(チブ)りり
  • 他村結婚 垣や破(クン)でり
チュウジバチ 手洗い鉢
手水鉢
石やセメント製で水を入れて手洗いに使う。富家の庭先において洗面用にも使った。
チュウダラ   京太郎の流れか。この踊りは一名「まんきゃ」とも言われ、招くような手振りから名付けられたものであろう。沖縄にチョンダラ(京太郎=京都からきた太郎の意)という芸能があることからその系統と言われる。今日、下久志から手々方面にかけては主に正月に、天城方面では仕事唄としても歌われたという。
徳之島民俗誌には「チョウダラは神前に奏される奉納舞で荘重な室内楽であったが、後は娯楽のため演じられるようになった。」とある。チョウダラに因む部落俗称を掲げる。
亀津チョウダラ。尾母(ウム)三味線(シル)。喜念雨(ヤド)戸締(ク)ら。亀徳(アキツ)佐安元(サカムト)。諸田(シュダ)腹太(ワタブタ)。神之嶺(カンニン)旋毛(チッキュル)。井之川(イノ)根性(クンジョウ)。下久志(クシ)乾蛸(カリトンチ)。
チョウチン 提灯 亀津、面縄などの六月灯には、氏子が献納した提灯が境内を埋めつくし、盛大をきわめる。
民謡

男:曲がる高頂(チヂ)なん チョウチンマチ(火)ぐゎ灯ち
女:其(ウ)りが明(アカガ)りしよ 通(カヨ)て居参(イモ)れ
男:歌給(タボ)て何(ヌ)しゅんが 声(クイ)給て何(ヌ)しゅんが
女:歌給(タ)べんまあらんど 声(クイ)給(タ)べんまあらんど

チラ
ツラの訛り。
チラチキ=面貌
ワレヂラ=笑顔
ナキヂラ=泣き顔、弱虫、べそかきの称。
ナンボヂラ=滑り顔、言われても平気でいる。
フックェヂラ=ふくれっつら
フテヂラ=太顔、ふてぶてしい顔。
チラギン 一重の衣
夏衣
ギンはキンで着物の義。
チリ 連れ
友人
民謡

我(ワン)々ぬ友人(チリ)ち思(ウモ)て遊(アシ)ば
我方(ワー)声(クイ)ぐゎぬ劣(ヤ)さぬ遊びならんど

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チリザン 吊褌 チリは吊る。サンはサナギで褌の意。
民謡
祖母(アン)ぐゎが褌(サナギ)や 破(ヤ)り褌 破(ヤ)り褌
破(ヤ)りてん切(キ)りてん棄(シ)てるなよ。
徳之島の猿股第一号は明治37年、亀津勢と山、花徳勢との野球試合の時にはいた股下だと言われている。以後次々に大衆化し、キャルマタ、サルマタ、サナギ(三角褌・女性用)、チリサナギ、パンツ、パンティと移り現代に至る。”サルマタ論議”筆者の拙稿がある。
チンカブラ 法螺貝 チンニャのチンか。ニャはニナの義で蜷のこと。巻貝のブラ、巻法螺貝。
連絡機関の見発達であった頃は、ユレ(寄り合い・集会)の合図は法螺貝でした。部落を一巡し「キュウヤ ユレドー。」プープーとふれ歩いた。昭和12、3年頃までなされたと聞く。
チンギョ 井戸
堀井
チン川、ギョはゴで川の意か。
チンキリ 捻る
捻切る
ムチチンキリ=餅を捻切る。
民謡

花徳(ケド)ぬ為清主(シュウ)や米(クメ)富限(ブギシ)者やしが
餅(ムチ)貰(ム)れが行(イジャ)った処(ト)チンキチ給(タボ)ち。

解釈に二様あって定かでない。富者故の欲望から餅を小量与えたという説、逆に大地主の彼は多くの家人をして耕作をした故に餅の準備が遅れ、鍋、臼から熱い餅をチンキチ与えた。読者の判断に委ねたい。次の節”餅給(タボ)れ給れ 祝(ユエ)ぬ餅給れよ 給らだてからや テガラセルンド”と関連して解釈すると意味慎重なるものがある。
チンゴミジ 芭蕉の紡ぎ水 芭蕉の繊維を紡ぐことに”ウチンギ”と言い、丸く束ねた糸を水に浸しておく水のこと。生芭蕉を鍋に煮た水の称。このチンゴ水を戸走りに流すと戸を開ける時きしる音が出ない。戸の開閉が密かにでき、愛人が忍んでくるのに都合がよいというもの。
民謡

チンゴ水や溜(タメ)て 屋戸(ヤド)走(ハ)らしくぶち
かくれ玉黄金(クガネ) 屋戸ぬ易(ヤシ)さ。

チンセィ
膝頭
チンセィマックヮ=膝枕
チンチン   野鳥の一種、雲雀に似た小さな鳥。鳴き声がチンチンと聞こえるのでかく名付けたのか。春から夏にかけて空高く飛び舞う可憐な留鳥。巣は茅の葉に袋状な形をつくり産卵する。
コーハゲチンチン=皮剥小鳥。弱々しので相手を卑下する場合の例えに用いられた。
チンチン 小量
微量
チンチンイジャチ=少量ずつ出す。
チンニャ 蝸牛 ニャはニナ、蜷の意。螺線や螺旋の形にチンニャギリギリと呼ぶ。地面に絵を書いて、幼児は遊ぶ。宝取り、城の攻め落としのゲームができる。
チンニャク=蜷の空貝。霊木の榕樹の根に集まっている場合、化物(妖怪)が中の実を食べたと言う。
タンニャ=田蜷、田螺。コンニャ=川蜷。ニャ=蜷。タンニャの項に詳記。
チンビ 包む 物を風呂敷で包む。おいかぶす形容から交尾することにもチンビという。
チンボ 釣棒
釣竿
目白などの野鳥をとる竹竿。チンはチリでつる。ボは棒の意か。釣竿に七夕の竹竿を使うと豊漁に恵まれる。又、小鳥を捕えるとき竿を股がるといけないとの俗信がある。
ヂン
地面
地取り、陣取り、国取りと呼ぶ子供の遊びがあった。二人以上の個人、或はグループで地面取りゲームをした。
ヂンムシ=地虫、蛇のこと。
ヂンモラ=地回り、夜の豚子。豚の子の形をした化け動物で、これが股下をくぐると災禍にあうので、足を組んで通過を待ったという。

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