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更新日:2013年4月12日

尾母方言~ト行~

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ア行 カ行 サ行 ナ行 ハ行 マ行 ヤ行 ラ行 ワ行

徳之島尾母方言集

島口 標準語 用例・意味等
トー 平地
トーバテ=平地畑。平地の多い字の地名に”トーバテ”、”トーバル”と佳名されていて地名学上の興味ある問題と言える。(地形と地名)
トー 徒長 いたずらに生長し軟弱なものにいう。
トームン=軟弱者。腕力が弱い、労働を嫌う、神経の未発達など、相手の卑称に使う語。
トーフデ=不釣合な伸長
トーマメ 空豆 トーマメの由来は唐豆に盡きる。唐の字は名詞に広く使われ、唐との縁を如実に物語っている。
一名カンナイマメ=雷豆の俗称もある。雷雨と根瘤(りゅう)バクテリアとの関連を示すからであろう。
トイ トイメ=鳥目、夜盲症。夜になると目が見えにくい疾病。
トイハダ=鳥肌。皮膚が滑らかでなくがさがさしている。身の毛が立つ。
トイブチケ=鳥白癬。人の皮膚に寄生する白癬にも言う。
トゥカ 馬鹿
脳足らず
並はずれ
十に満たない
トゥカグト=並外れ計画
トゥクリ=途方暮
トゥクリムン・トゥカムン=並外れ者
トゥキビン 唐黍
玉蜀黍
果実は澱粉に富み、食用または家畜の肥料。
トゥギン=唐黍。緑色の花穂をつけ、黄色い実を結ぶ。五穀の一つで食用になる。キビにキミと呼び、その成育過程を歌った”キミ口説”は有名である。
トゥグシ 唐簪
髪指
普通の簪より形が大きい。薩藩時代は簪の種類によって身分階級の差別ができた。最高の金菊型から竹製のものまであった。女性の調髪必需品だけでなく、男性も使用していた。(明治の断髪令公布以前は)またノロの調度品でもあった。
トゥグシュ 唐胡椒 果形が大きく、大和胡椒より辛味が少ない。胡椒は薬用としても役立てた。腹痛の療法として、クガ(鶏卵)に胡椒を入れ卵焼をあげて食べさせた。経済生活の貧しさのため食事療法の面で”クガヤキ”は薬効をあげたと言えよう。
クシュダケ(胡椒酒)も貴重な腹薬であった。
民謡

吾(ワー)家庭(ヤンメー)ぬ胡椒(クシュ)の木や枝(ユダ)持ちぬ美(キュ)らさ
大和武士(サムレ)ぬ 巳(ミ)持(ム)ち美らさ。

トゥグラ 下家 表家(母家)に対して別棟の下家(炊事、雑用)のこと。両棟の間に木の彫り抜き樋を渡して雨水をしのぐ。樋の下方にはカイジョ(通い窓)の通用出入口があった。別棟の建築方式の理由の一つとして、薩藩時代には二棟続きの屋舎の建築は禁止していたことがあげられる。それは経済政策の一方策であったと言われる。
トゥジ 湯治
湯水
海岸の珊瑚礁に溜った海水が、陽光で熱せられ濃い塩分の湯水になる。これを温泉代用として”トゥジ”と称した。方々の海辺にあるが伊仙町の”クバルトゥジ”は有名である。

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トゥジキ 唐芒 ジキは芒の義。茅(ギャ)は”チガイ”、”ジキ”、”トゥジキ”の三種の総称。ジキが自生しているのに対して、唐芒は株分け移植法によって耕地や土手などに栽培した。また成育も早く、草丈も大きいので茅葺の材料として広く利用されたが、芒のように長持ちしない欠点がある。また、方名が示すように芒より後代に外部から伝来したものと思われる。
ドゥジル 尾白 ドは尾のこと。野鼠の一種で、山奥にいるが滅多に見られない。尾の部分が純白であるのが特徴であると言う。徳之島の深山にいる。
トゥセンクビリ 唐船繋り 徳之島町南原の俗称地名で、現在の珊瑚ホテル南の突き出たところ(ナガメ石)に唐船が流れついた。徳之島事情によると「明和5年(1768年)尾母村下卸口へ唐船一艘乗組廿六人漂着、本船は秋徳港ヘ廻船ニテ修繕シ、其船ニテ帰国セリ。該卸口ノ字内ヘ唐船繋ト唱フル場所アリ、是レ即チ該唐船ヲ繋ギタル海浜ニテ、明和年間ヨリ称シ来リシモノナリト謂フ。」とある。ナガメ石は沖縄の風来坊の俗名で、彼が石穴を根城にしていたのでこの称があると聞いた。
トゥチブル 南瓜 唐のチブル、チブルは頭。
トゥチブルウッカン=低能。かぼちゃ頭。南瓜の形状が頭と類似しているのでこの称があるのか。
マーチブル=瓢箪。小型の丸瓢箪は食用のほか、水汲用の柄杓として重宝がられた。
俗歌

南瓜(トゥチブル)南瓜誰(タン)が泣かちゃん
冬瓜(シブイ)ぬ泣かちゃん誰が泣かちゃん
泣きゅなよ泣きゅなよ南瓜ぐえ
吾が手拳(テンカブ)冠(カ)めらしゅんど。

トゥチムン   田打ち物の意。鍬、田を耕す道具で先端は鉄製で柄の根部は木製になっていた。現在見られない。
トゥツゥジ 唐通事
唐語の通訳
道之島貿易のコースにあたる徳之島は、1266年琉球に服属したが、これは征服によるものでなく善政を慕ってなされたものとも言われる。慶長14年(1609年)薩藩の征伐まで続くわけで、唐通事の役職は貿易の面だけに限らず行政面でも必要であった。古記録に関係記事が多く見られる。
トゥトゥ 祷々 祈願、祈祷の義。火神、水神、月神、神社、祖先棚等に「祷々加那支・・・・。」と祈る。転じて酒を汲み交わすことにもトゥトゥすると言う。酒は神酒に通じ、神に祈る唯一の寄り代であるからと言える。
トゥフマメ 豆腐豆
大豆
かっては大豆を自家用として栽培していた。
ショウグヮチドゥフ=正月豆腐。年の暮になると、三箱から五箱の豆腐を自家製造して炙豆腐の保存法で正月中使ったのである。
トゥブシ 唐ぶし
赤米
近年全く見られないが、唱和14年頃まで栽培されていた。脱粒し易く風害を受ける。
米は油気がなく美味ではない。端境期や砂糖小屋での食料として栽培された。
下野敏見著、タネガシマ風物誌によると「赤米は種子島の南種子町の茎永の宝満神社の祭田と、対島の豆酸の神田に栽培されている。」とあり、信仰との結びつきが強い。
脱穀法は金管(カナブタ)や脱穀機を利用する必要はなく、筵を三周に張り稲穂を軽く石に叩く方法がとられていた。
トゥホリキリ 唐堀切り 伊仙町上面縄に遺跡がある。高台に居城を構えた按司を水攻めする戦術として、唐堀切りの土木工事によって水を逆に流した。按司割拠時代の戦法の一つであった。
唐人の指揮でなされたかどうかは不明であるが、按司時代の後期、琉球服属時代の頃に築工されたと思われる。
按司屋敷跡からは土器破片、木炭、飾り石等が出る。また、その北隣りには”カンジャエー”(鍛冶屋岩穴)があって様々な伝えが聞かれる。

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トゥメガネ 遠眼鏡
双眼鏡
遠くを見る眼鏡の意。望遠鏡の名詞が定着する以前の語か。それとも眼鏡にちなんでの新語か、その何れかであろう。唐堀切りの山手にゴラン田の地名があることは琉球のゴリヤル、加計呂麻島のゴリャバルに通じるものと考えられ、琉球孤として縁ある地名のように思える。
トゥラ タワラの転訛。
クメドラ=米俵
トゥランク=俵巣、クは入れ物の意である。藁製の入れ物を自家用として編んでいた。大食漢にトゥランクワタ(俵腹)と言い、沖永良部島民の食欲の強さを誇大主張して「永良部ドゥランク」と呼んでいる。ミヤゲフキ神事の詞に、「へー四(ユーチ)ぬ角(シン)な大俵(フードラ)込めて、米俵(クメドラ)込めて、蟻(アニ)も合(オー)すな虫も合すな、海(ウン)ぬ片眼(カタメ)鯨(グンジャ)ぽん。」の詞があり、米の霊力を信じた一節と言える。
トゥル 人骨風葬岩穴
墓地
トゥルミ=墓見。転じて祖先祭の別称(井之川)。徳之島の祖先祭は南部が10月癸亥の日、東部と北部は六日おくれの己巳の日、西部は更に一日おくれの庚午の日、と3区分があり、その呼び方も十の呼称例がある。
井之川は親方(ウヤホウ)祭り、トゥルミと呼ぶ。トゥルミは墓参りの義であることは注目したい。島全般的には古米の岩屋葬跡にトゥル墓と呼び、現今の共同墓地とは区別している。
ドゥ 自分
ドゥドゥ=自分自分、銘銘。
ドゥヌハイ=自分の役割。または割合。
俚諺
  • 親(ウマ)丁(テー)寧(ニ)しか自分(ドゥ)丁寧さゆん
  • 他人(チュウ)潰(チブ)すん者(ムン)や自己(ド)潰りゆ
  • 他人(チュウ)敬(ウヤモ)てか自己敬(ウヤモラ)るん。
ドゥ ドゥマ=牛の尾の根部が一段と盛り上がっている称。
ドゥブッタ=尾太、トンボの一種で方名。尾の末が太い形状になっている。前原口説に登場する亀津麦穂峯(ムンギャマ)ドゥマ牛と、検福の前原牛との闘牛風景はレコードに収められている。(徳之島民謡傑作集前原口説)
ドゥナガ 尾長 山野にすむルリカケスに似た野鳥。雄の尾は30cm程の長さがあることから尾(ド)長の方名がある。
ドゥブネ 胴骨
背骨
骨痛みの総称として「ドゥブネヌヤデ」と言う。
ドゥブネ揉みは看病の一つとしてなされる。
ドゥブネ折(ウ)リルッキャ=背骨が折れる程に激しい労働。
ドゥリ 尾類
遊女
女郎
「ジュリ」「ジュヤ」とも言う。
ジュヤ=料理屋。料理のことをジュイと言うことから、料理屋に売春婦が住みつくようになったと思われる。「まわり淫売」のジュリは大正初期に「ヤンゴ」に定住するようになったと言う。
ドク 俚諺

悪巧(タク)でか 毒飲みゅん。
※悪事をたくらんだら、それが自分に回ってくる。

ドコーイ 健康
丈夫
目上の人の健康を敬って言う言葉。
貴方(ウイ)ドコーレルンセー=貴方お元気でいらっしゃいますか。

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ドゴロイ 心地が悪い
良心が咎める
困難
相手として困る
ドゴロカ作業である。のように苦労する過程にも通用する。
ドゴロシムン=相談しにくい相手。
トシビ 年日 正月初の十二支。生まれた十二支の日に年の祝をする。
トシヌユェー=年の祝。13、37、49、61、73、85才の祝い。13祝は7祝に次ぐ成人祝で、13褌を着帯した。25、37は略式で神酒のトリカワシ程度49は近親の内輪で、61以上を盛大にする。88は米寿の祝で8月8日の昼間に行う。
トシヌユル=年の夜。大晦日。家族揃って晴着を着て座席し年取りの盃、餅を受ける神事のあと、力飯と馳走を食べる。旅にいる者にも膳組みを供え安泰を祈る。
鼠にも同様の馳走を供えその害を防止する行為がある。
トジ 刀自
トジカメイ=妻帯。男側からみた俗称。カメリは冠り。おしいただくの意で厳しゅくな表現である。
トジムロイ=刀自貰い。女性側からはヤームチ(家持ち)と言い、家庭を持つ意である。
俚諺
  • 他人妻(トジ)でか 五斗(グト)豚(ワア)ぬ首切らゆん
  • 妻や當(アテ)木。妻やしきから。
トジュト 刀自夫 トジとオットの複合語。従って夫婦のこと。
トジュトドレヤニナ=夫婦喧嘩は見てもいけない。介入がましいことはするなとの意。
俚諺
  • 愛(カナ)あん夫婦(トジュト)や丘上(カラウスジ)な立つい
  • 夫婦話や犬猫(インニャウ)ねば聞かすな
  • 夫婦ぬ七才(ナナチ)違(チゲ)や 七蔵(クラ)建てゆん
ドシ 同志
同士
連れ
仲間
結婚式の嫁を同道する未婚女性のこと。
ドシシベン=嫁の連れ部
ドヂ 土地
土間
住家の一部で素足のまま出入りが可能な間取りになっている。炊事場の近くにある。
ドヂバキ=土地履き
トッパ 突飛
突破
突外
思いもよらない並外れていてかわっていること。
トッパムン=突飛者。思い切りがよいこと、並外れの挙動の卑称。
トデナー 徒然無い
さびしい
閑で退屈
弔問の辞にトデナーグヮシーモレルンサレー(淋しいことで御座いましょう)とある。
トヌゲ 手拭 タオル=西洋手拭いと和手拭いの区別はない。
八月踊り「ゴシャクトヌゲ」の歌詞に

五尺(ゴシャク)手拭に花染(ジュメ)染(シュ)めて
愛女(ムジョ)に冠(カン)ばしょか 吾(ワ)が冠びょか。

トヌチ 殿内
殿内屋敷
上殿内
下殿内
全島の殆んどの部落にトヌチは分布しており、その様相は明治以前の衆加那支や祝女の屋敷跡である。亀津の場合、殿内で祝女による稲穂祭りがなされてから刈取りが開始されたと伝えられている。「此(ク)ぬ殿内老女(ハンサリ)や果報(カフ)な人どやしが米(クメ)倉や建てて 思子(ウメグヮ)めーらーせ。」と歌われているように、相手の敬称に用いる場合もある。

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トビキリ 飛切 秀才。天才。また、運動、体位、容態に恵まれ秀れた者。
トビキリムン=飛切者。尊称としても使われる。
トビギン 飛衣 トビギンマイギン=飛衣、舞衣。島の各地に天の羽衣伝説があり、流れは一つとしても末梢の相違が見られる。
天天降(テンカアムロ)口説(クドキ)

銘刈主(メカルシュル)前(メ)に 目(メ)掛(カケ)られて
飛衣(トビギン)や舞衣(マイキン)ぬ 隠(カク)されて 何故(ヌガヨイ)
天降よ 此処(クマ)浴(ア)める。

トマ 藺、藁や茅などで編んだ敷物。籾や落花生を干したり、寝敷用、壁掛用など利用範囲は広かったが今日の現代文化と縁遠くなりつつある。畳の普及が十分なかった頃は、竹の床の上に筵を敷いて寒さをしのいでいたという。(明治の中頃)。菅、茅などで編み雨露を防ぐ苫の義からすると、古く茅藁屋根は筵状の茅束を数枚重ねて葺いたとの伝えから、家葺の苫からきた話のように思える。
トメジル 溜汁 砂糖汁を一夜大鍋に入れたまましておくこと。甘蔗汁に石灰を混じて煮つめた段階の濃い砂糖汁になると、釜の残り火が利用できるのと、省力ができるなど経済的な側面をもつが、トメジルシジリ(溜汁煮)の夜業故に失敗(石灰混入率・煮不足)する率も高かった。夜ナベは青年や若者の責任で、その俗歌に歌われている。
トメイ 探す
尋ねる
「古語とむ」と同義語か。
民謡

七ち成たる時 母(アンマ)探(ト)めが
国ぬ国々 探(ト)めてみちゃんよ
吾(ワ)が母や見ちゃるや一人(チュイ)居(ウ)らんど
島ぬ島々村々迄(カチ)探(ト)めてみちゃんよ。

ドヤッサ   ドは自分、自分の体。ヤッサは安い、安易。身体安の意。調子がよい。病気が快い。楽々と。
ドヤッサカシギュト=安易な仕事、技能を必要としない仕事。
トユム 知れ渡る  
トリ 凪ぎ
風が止むこと
ウナンドリ=旧6月土用の波静かな天候のこと。ウナンは雌牛、ドリはとりの義である。ある年沖永良部島からビヨ(小牛)を徳之島に買い求めて船で運んできたら、その親牛が小牛を慕って泳いできたという伝えがある。それほどに海上が凪ぎであったとの意である。
民謡

村落(シマ)やトレドレと 檳榔(クバ)やすやすやと。
※部落が静まりかえっている様子を歌ったもの。

ドル ドルヤマ=泥山、雨降りの泥道
ドルガブ=泥だらけ
トン 甘藷
唐芋
トンはトゥ(唐)の縁語か。唐芋のことをヤンと呼ぶ部落もあるが、ハンシン、ハンジンの呼び名もある。中国の蕃薯からきた語だと思う。

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トン 薪(徳之島町白井) 芋と薪では大違いだが。
トングェ 唐鍬
くわ
畑を耕す鍬。
トチムン=田打ち物の縁語か。田鍬にハビル(幅広)が使われる。「トングェと鳩」の昔話は有名である。
トンジテ   問うの意か。他家を訪問する。
貴方(ウイ)訪問(トンジテ)下さったね。
クヮトンジラシ=子の初訪問。生後7日目に命名の式があり、その後母方の家へ初訪問させる人生儀礼がある。訪問は老女が赤子を抱き、ニンニクか焼布を持った者に先導されて行き、実家でも命名と初歩きを祝う。
トンダフ   祝祭の馳走を盛る高膳で、円型、四角型の別があり六つから八つ程に仕切られた枠入りのものに料理を別々に入れる。徳之島町文化財に指定されているトンダフがある。徳之島町指定文化財説明書によると「1、所在地-徳之島町花徳、2、管理者-直島延光、琉球服属時代~薩摩時代~明治時代初めにかけて、儀礼の会食用の木皿6人前組立膳である。(木皿のかわりに陶器製もある。)これに必要な酒器、杯類をもって一揃いとなる。意見-完全な形で残っているから、これを町の文化財とする。」とある。
トンニュクス   トンは鳥、ニュはので、クスは糞で、鳥の糞のことである。普通トンニュクスとは鶏の糞のことで、他の鳥類の糞と区別している。鶏を放し飼いしていた頃、畳に糞をたれ、その処置に手をやいたものである。
トンベ 弔い
弔部
近親は勿論、近隣、知己、部落中の者は弔家へ一回以上弔問した。弔部と仮定すれば、前出の雑色(ゾーシキ)部などのように部は弔の泣き役であったと思われる。泣き女、一升泣き、クヤ、ウモイなど弔部の俗語とともに多くの習俗が残っていることを重視したい。クヤ、オモイは老女の二部合唱形式によって唱和され、哀調味をおびた弔辞である。
ドンジ 地固め
地搗き
土台固めの作業唄(エト)を次に揚げる。
労働歌

「サンノヤーデンガコーコーガーネ、サンノヤデンガコー コーガーネ。」
男女別または組別に数人の者が、作業の拍子に合わせて唱和する。

ドンチュラ 自分一人 ドンはドで自分の意、チュラはチュイで一人の意。
ドンチュイムン=一人者、一人暮し、未婚者。
ドンチュラメッタ=独言。メッタはユメッタでしゃべること。読(ユ)み者(ムン)、読(ユ)みった。となろうか。
ドンブイ 丼料理は島の祝祭には不可欠のものであった。今日でも大衆向きとしてにぎにぎしい。
ドンブイジュイ=丼料理

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お問い合わせ

所属課室:社会教育課郷土資料館

鹿児島県大島郡徳之島町亀津2918番地

電話番号:0997-82-2908

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