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ア行 | カ行 | サ行 | タ | チ | ツ | テ | ト | ナ行 | ハ行 | マ行 | ヤ行 | ラ行 | ワ行 |
島口 | 標準語 | 用例・意味等 | ||||
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ター | 鷹 | ターグムイ=鷹曇。鷹は10月初旬に島に飛来する渡り鳥で、その頃の雲(天候)のこと。古くは鷹は雲のように一群をなして渡来したのでこの称があるのか不明である。 ターハグ=鷹囮、茅製の鼠入れを作って鼠を飼う。それにギャガメ(茅亀)と呼び、鼠の歯を欠いて入れる。鼠を紐で括って運動させて鷹を呼び寄せ、鼠の周囲に1m程の鳥餅をつけた竹を立てて生け捕りにする。鷹は真上から下りてくるので翼をやられ生け捕りにされる。ターハグは餅が固くならないように竹筒に入れ、種油で柔かくしてその粘着性を常に高める工夫がなされた。 ターガン=鷹蟹。川や田にいる食用の大きな蟹。秋の後期、鷹の渡来する頃から蟹の甲羅は殊の外大きくなるが、肉付は悪く美味でなくなる。一雨ごとに川下りをし、そして海で産卵をすると伝える。この機にアロ(竹製の囮)で、捕獲したり、松明漁りをして生け捕りにする。現在も変わりがない。 |
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ター | 田 | ターウェイリ=田植え。現今は田植えと言えば一期作が3月、二期作は7月と略一定している。明治、大正の頃はフンニ(本稲)が10月播種、2月田植、普通稲の栽培と二通りあった。ターウェーウタ=田植唄。上作人と言われる大地主(ウーダカ)の家や、新田の場合には、田植唄を歌の勢子が、畔で太鼓を叩いて歌い植手を励まし祝った。又、唄に依る豊作祈願の意義が古い形態であったかも知れない。 民謡
ターバンシン=田蕃薯。水稲収穫の後地に栽培する甘藷。畑の芋より柔らかく美味である。 |
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ターアガイ | 高上り | 高くとまる、権利高者、自尊心が高い 俚諺
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ターイ | 二人 | タートロ=二か所。数詞の単位。 一人(チュウイ)、二人(ターイ)、三人(ミチャイ)、四人(ユタイ)、五人(イチタイ)、六人(ムタイ)、七人(ナナタイ)、八人(ヤタイ)、九人(クヌダイ)、十人。 民謡
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ターイュ | 田魚 | イュは魚、泥鰌。ターイュシキ=泥鰌掬い。田魚はターグムイ(田溜り)に多く群集し、渇水期には土中深く潜む。ターイュシキは老女の職であった。ターイュシキゼで掬いイボロに入れて歩き回る風景をよく見たものである。アゲジマ(海辺から離れた山寄り部落)では田魚は珍味の一つであったことであろう。イュ汁は最高の馳走であったときかれるからである。 | ||||
ダァイ | 足り よろしい 丁度よろしい |
ウリシタイ=それでよい タイタイ=よしよし、幼児をあやす詞。 |
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タイ | タイマツ 松明 |
ガラダイ=竹の松明 アーシダイ=松の油木の松明。古く川や海の夜間漁にはガラダイが広く用いられた。径15cm、長さ5メートル程の松明を利用した。 イケダイ=迎え松明。結婚の新嫁を途中まで迎えにいく時の松明。製糖期のウギンカラ(甘蔗の搾り粕)ダイ、竹筒に石油を入れたデーダイ等、活用度が高かった。松明は葬具の一つとして欠かせないものでもある。 |
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タカ | 地所 土地 所有地 |
ウーダカ=大地主 タカアケリ=耕作 民謡
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タカグラ | 高倉 | 四本または六本の円柱を用いて造る。鼠害と湿気から穀物を守るための建築様式と言われ、高床式のため梯子で上下する。また、「天女川」の伝説には、天母の舞衣を高倉にかくしたとある。「天ちあもれの歌」には、天女の飛衣舞衣を目下呂主(メカルシュ)が粟つか米つかの下にある八股倉にかくしたとある。この記録からすれば八本の柱を使った高倉が想像できる。 | ||||
タカチヂ | 高辻 高頂 |
チヂ、シジも同じ。 マチヂン=真旋毛、ツムジ ターチヂン=高い嶺 民謡
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ダー | 何処 | 貴方(ウイ) 何処へ(ダーカチ) 行かれますか(モレルンガ)。 民謡
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タキ | 崖 | ハンタ、ハンタキ=半端、半崖。急に一段高くなった地系。 タキンサー=瀧下。大瀬川中流にある滝で、夏の避暑場であることからこの称がある。記録に依れば明治、大正の頃は帰省学生達のソーメン流し場として賑わったと言う。 戦前のこと、ネタビャ(竹馬)遊びに夢中であった頃、ハンタキの高い地点から竹馬に乗って飛びおりる競争をしたものである。調子を失すると大怪我をしたことも思い出の一つとして残っている。 |
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ダギョチ | 抱き合って 喧嘩 取っ組んで |
ダッキョチとも言う。男女が抱き合って踊るダンスが徳之島で大衆化したのは、昭和22年亀津中区の青年会場で、某氏の推奨により、青年男女が踊ったのが最初であると聞いた。当時島の人達は”ダキュラ姿”を見て嫌らしい文化だとこれを批難し、貴冨家の娘は参加を遠慮したし、関心のある父兄は板壁の節穴から顔をしかめて眺めたともいう。 | ||||
タク | 煙草 | タクリ、タクイリ=煙草入れ タクブン=煙草盆。古くの煙草入れは木の彫り抜き器具に、竹製の煙草入れを連結し腰の帯紐に括って吊していた。漁師の煙草入れは枕兼用の「カタッパ」が使われたが、現在は全く姿を消し見あたらない。昭和43年4月徳之島町大原在住の杉嶺仲氏(与論出身)は沖縄製のカタッパを保存していた。 「縁付煙草」の伝説も多く聞かれる。伊仙町の犬田布と中山を結ぶ女神(人魚)物語の終極は、女神の煙草を手の平に受けた男神は、それがもとで焼け死んだとの伝えがある。天天降(テンカアムロ)口説(クドキ)に次の一節がある。
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タクデ | 巧んで 悪事を働く |
創意工夫の意。けんかの時の悪口の称。入れ智慧。 俚諺
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タゴス | 違す | チュンクチタゴスナ=言ったからには実践に結び付け。 俚諺
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ダグ | 団子 | ダグムチ=団子餅。旧3月3日の桃の節句に蓮餅をつくり祖先棚に供え、親族にも配る。 フチダグ=蓮団子。瘤。肉塊。肉腫れのことにもダグと言う。 ダグウッカン=団子頭、低能の称。団子の形が丸くO型であることから、能力の低い意を表したものと思う。1、5、9月の月神拝み二は、米の白団子をつくる。親餅が二つ、月と太陽を意味し、子餅は星の群を意味している。 民謡
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ダグリ | 発情 堕振 |
ダグリムン=情交者。特に女性の異性に対してけじめのない場合にも言う。 ダグリクヮハラデ=私生児孕んで 民謡
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タタテ | 立腹する 腹を立てる |
アヤガテと同義語 | ||||
タダキ | 便所 肥料だめ |
セメントの移入前は、石灰に砂と砂利を混ぜて木で叩いて四周と底を固めた。タダキは叩きの由来である。化学肥料がなかった頃は肥料だめとしてタダキを造り家畜の糞尿、残飯、汚物を混入して腐敗させて肥料として使用した。明治政府は補助金を出して各家庭にタダキを設置するよう奨励した。便所のなかった時代は豚小屋の中に糞尿をたれていたと伝える。(昭和5年頃まで) アイタダキ=藍溜。藍の原料である藍玉を造るタダキ。現在徳之島町轟木の山中に残存している。かって部落共有林に藍を栽培していたころ、このタダキに藍を刈り込み、水に漬けて葉を腐らせ藍玉をつくった。 |
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タタメィ | 畳 | 明治の終わり頃までは畳は贅沢品扱いされていた。農家や貧者は筵を敷いて畳代用にした。本土から畳表が移入される以前は、畳表の原料藺草の栽培から編み肩にいたる。総ての作業は自家労働であった。正月畳を年一回新調、張り替する習俗があったが、近年は生活改善の線に沿って改められている。畳織機が各家々に建てられてあって、これを使ったものである。 | ||||
タタンヂ | 渡地 渡し場 |
谷や川の俗名。また、谷や川を越して行く地点の呼称。尾母と南原の途次にもある。 | ||||
タチナキ | 立泣き 群泣き |
犬が多数群をくんで異様な声で集団泣きすること。タチナキは縁起が悪いといわれ、大災の発生、人の死亡など災禍がおこると伝えられている。 | ||||
タチワキ | 刀豆 なた豆 |
長さ20cm、径10cm程の莢の中に大粒の実が3、4個ある。煮食用ともなるが、柔らかい莢は漬物として貴重である。民俗面では船旅のときに身を守ってくれるとの俗信がある。形態のうえでは女性生殖器、船形に似ているからであろうか。旅出にあたってナタマメを衣の中に縫い込んでおくとよいとの考えからである。 | ||||
タテクサ | 立草 | 刈ることを禁止した野草。立入り禁止区域の草生地のこと。立札や竹、芒を立てて標示し、戒律を犯すと草刈用具の無条件没収を余議なくされる。素朴な所有権の表示、物件の保護表示としての竹や芒を立てておく習俗は、別の意義からきたものとも思われる。即ち注連縄の意義と通じるものと考えられる。 タテギャ=立芒 タテヤマ=立山の称もある。 |
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タッキャ | 誰達 | 複数を示す。 ワッキャ=吾達 ヤッキャ=お前達。ヤは汝で卑称。伊仙地区はウッキャのウはウイに通じ敬称である。花徳では貴方と汝の区別はほとんどないと言われ、大人が小人にもウイと尊敬語で呼ぶことすらある。 民俗
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タッキャイ | 二切れ | 一本を二本にすること。タッキレの転訛か。 一切れ(チュッキャイ)。二切れ・・・・・の数詞。 民謡
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タッチキ | 来月 | 立つ月の意ではなく、二(タチ)月の意か。一(チュ)月は今月出、二(ター)月は次に来る月という意か。 イジュルチキ=去月、行った月、去った月。 |
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ダッキョ | らっきょう 薤 |
ダッキョビ=薤屁。らっきょうを食すると屁が回数多く出ると言う。化学的な論拠、生理的現象は判明しない。薤漬物の香と刺激、それに口甘い味の悪名が影響したのか。 | ||||
タナ | 棚 段々状の田畑 |
タナバテ=棚畑、一段高い畑。 アマダ=天棚。地炉の上部に1m四方程の木製棚を天井から吊るして、薪の乾燥施設として利用した。 製糖場でも砂糖窯口の上部につくって”ウギンカラ”(甘蔗絞り粕)を乾燥したが、火事の原因となった。 |
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タナガ | 手長 蝦(海老) |
えび科の節足動物の一種、二本の鋏状の足が特に長いので、”手長”と呼んだのであろう。夏季に多く見られ、川の深みの石下や自然穴の中に身を隠している。 タナガクンギ=蝦括り。チグと称する棕櫚に類似した植物の葉柄の繊維で括る。メーグンという装置で尾の部分から密かに入れて、中腹をしばりあげる。深みの場合は別に1m程の竹を添えて括る。蝦は足を切断して塩でいためて食用にする。夏の部落行事の酒肴に蝦料理を重に入れて行った風景は大正の末期頃に、その姿を完全に消したという。 |
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タナシチ | 種油 | 油を流した様。 民謡
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タナバタ | 七夕祭 | 明治以前に本土から伝来したものと言われる。亀徳での聞き書きによると、明治21年頃、色紙がなかったため白紙を色染めして七夕に使った。草染、土染、実(ナリ)染など様々の方法で染めた。染織も自家製が多く、泥染、藍染が代表である。七夕の竿を釣竿にすると豊漁に恵まれるとの俗信もある。 | ||||
タネ | 種子 | 金玉、植物の種子、動物の精子の称。 俚諺
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タネチケ | 種子漬け 籾種子漬け |
伊仙町面縄以北の目手久、佐弁、喜念では”タネムチ”(種餅)”バンムリ”(飯盛?)と称して、旧暦10月の卯、子、午、酉の日柄の何れかの吉日に農耕儀礼が行われる。その由来は”フンニ”(本稲)を栽培していた頃、年内に播種して新年の1、2月に本田に定植する糯米の栽培法である。 詳しくは「フンニ」の項参照のこと。(種子清祝、種子漬餅) |
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タネマキ | 種播き | ”タネウルシ”も同義語。一般的には前記(タネチケ)と略同じであるが、種播きは水稲以外のすべてに該当する。 | ||||
タマガテ | 恐れて こわがる 臆病 |
魂消るの転訛かそれとも魂あがりの義か。魂が消えるほどに驚嘆して。 | ||||
タマクガネ | 玉黄金 | 子供や愛人に対する愛称、美称。タマは美辞、ガネはカナ(愛)の転か。 八月踊り
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タマシ | 魂 智恵 |
シックリダマシ=悪賢い。我利我利亡者。 タマシキキ=魂利き、利巧。霊魂にもタマシと言いタマシヌゲテ(霊魂が身体から抜け去って)と、他界近くの状態をさす。 ドダマシ=自分の割当分。自分の身分相応の分量のこと。 俚諺
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タモイダ | 賜田 | 亀津南区の共木屋原にある。祭り田、祝田の部類。田植えに先立って早朝に地主が海辺の潮がかり砂を少量取って来る。賜り田の祭場で祓う。賜田の行事と田植えが済まないと、周囲の田植えはできないという。田植えには月の物の女性は参加してはならない。また人糞尿の施肥も全くできない。収穫も賜田の神事が優先する。不文律を暗に犯すと災禍が伴うと言う。 古く賜り田の刈干稲を盗んだら大禍にあい、密かに稲束を返したら禍は晴れたと伝えている。この様な神田は、かっての祝女の祭り田が各地にあったこと水神の信仰地点が神域化され、霊地としての扱いを受けてきたことに由来しているものと考えられる。現在はこの賜り田の神事はほとんど消滅したといえる。 |
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ダリテ | 疲れて | ダリムン=元気のない者。活発を欠く者。転じて意気地なし者。 ダロァイ=だるい、疲れる。 |
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ダリヤミ | 晩酌 | 慰安の意。焼酎や泡盛で心身をいやす。激しい労働のうえ、慰安に欠けた島の人々はダリヤミに望みをかけた。藩政時代の厳しい砂糖取締りの世では焼酎造りも意のままならなかったし、まして配当品として島津が持ち運ぶ筈もなかった。 明治以後酒類の専売制度が施行されても島では密造酒が跡を絶たず、昭和35年頃まで続いた。密造酒に”シイダケ”(造り酒)または”カメニャ”(亀ニャ)の別称がある。取り締りの税務官が巡視にくると、部落ぐるみで密造酒を隠す、そのため”カメニャドー”と順次に知らせ合っていた。酒瓶は竹藪や土中に埋め係官の目をのがれ、中には係官の目前で酒瓶をわって証拠を湮滅する挙動に出るなど、多くのエピソードが伝えられている。 |
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タレッチュ | 老人 年寄 |
取り人(チュウ)の義か。 タロテ=年取って ウェイムン=老者、オイムンの転訛か。 ウィイムンジキロ=年寄り格好、年増者に見える。話術に長じ落着いている若者を賞讃する場合に言う。 |
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タワク | 田仕事 | ワタは仕事、労働のこと。 ヤテワク=雇仕事。賃金はなく、労働奉仕すること。家の新築、新しい田畑の購入、開墾作業、災害を受けた等の場合、慶弔の意味で近親者はヤテワクまたは、”ヤテバン”をする。傭い飯の意か。ヤテワク、ユイワクを受けると、その返しは何等かの方法でなす義理は強い。タワクも天水田の場合は”タシチケ”(田躾の意)と稱して、2、3頭の牛馬を田に入れて土を柔らかく踏みこなす作業と、畦を丸太棒で練り固め水洩れを防ぐ作業をする。牛追いは泥を避けるため牛馬の尾に茅を括って垂らしたものである。 |
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タン | 誰 | タルとも言う。 タンダル=誰々 タンガ=誰か タンダルチャンガ=誰々来たか タンガチャンガ=誰が来たか 古今集
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ダンガサ | 蘭傘 蝙蝠傘 |
南蛮貿易のルートで移入されたのでこの称があるのか不明。このほかダンチキギ、ダントヌゲ等和蘭の義と解されるものがある。 民謡
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タンキ | 短気 | 俚諺
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タンギャサ | 丹瘡 | 毒性の皮膚病。できものに膿をもち瘡ができ発熱するまでに痛む。治療が難しく民間療法がとられてきた。呪者が餅米を口中でかみ、患部にふきつける。その際次のような呪言を唱上する。(呪文は多いが、次は山部落での聞き書き)
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タンクサ | 田草 水稲の除草 |
タンクサカキ=田草掻き、カキは手で草や土を掻く意。「イネぬクサカキ」(八月踊り)の一節に、
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タンゲィテ | 当てにする 頼りにする |
タンゲィはタノミ、タンビの転訛か。 チュウタンゲィテ=他人を当てにして。他力本願の様子。 |
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タンコ | 向かい側 | マタンコ=真向かい、股向かうの義からすると、両足が向かい合っている称か。「丹向」の小字名が広く分布しているところから、一定地域(地点)の真向かいの場所、位置につけた地名と思われる。 | ||||
タンコダチ | 二人家立ち | 新婚の独立家庭。結婚して分家した一家に二人でくらすのでこの称がある。転じて家屋、家財道具が貧弱な家庭を卑下していう場合にも使う。タンコの義と結びつけて考えるのが妥当と思う。分家の家屋建築は”マタバラヤ”(叉柱家)で、壁は茅と竹でふき、床は竹を編んでつくる。本家譲りの古畳か萱筵を敷いてあった。棟は一つで寝間から炊事場まで同棟の中にあった。 俚諺
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タンゴ | 樽 桶 |
タルの転訛か。桶と樽は構造上似ているのでこの称があるのか?。水汲桶にもタンゴと言う。しかし砂糖容器の樽にはタルと使い分けている。 クェークミタンゴ=肥料桶 |
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タンシ | 箪笥 | 嫁入り道具として持参するようになったのはそう古くはなく、それまでは”シチ”、”マックヮバク”、”風呂敷包み”程度の道具を持参したと言う。旅立ちに際して爪や髪の遺品のほか”フス”の始末場、金銭、貴重品の保管場所としても箪笥は活用された。近年の嫁入りタンシのイメージでは、明治、大正のそれは憶測できない。 | ||||
タンジ | 激る 沸騰する 腹立つ |
ワタタンジ=腹が立つ ミジヌタンジ=湯が沸騰した |
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ダンチキギ | 蘭付木 蘭製のマッチ |
ランをダンと発言。蘭から伝わった付木。棒の先端に薬品を付けてあることから、かく呼ぶのであろう。 ダントヌゲ=蘭手拭い、洋タオルのこと。マッチの移入によって火神習俗も大きく変化した。即ち火種の保存は不要となったからである。鳥越慶三郎博士の「琉球宗教史の研究」にみられる火神観に一大変革を来したものと思う。 |
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ダンナ | 旦那 主人 夫 |
俚諺
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タンニャ | 田蜷 たにし 田の蜷 |
蜷はカワニナ科のまき貝の総称。川や池の蜷には「コンニャ」、海の蜷には「ニャ」と区別している。蝸牛は陸にすむマイマイ科の軟体の陸生貝であるが、これには「チンニャ」という。 タンニャグクル=田蜷心。内気心、小心者の称。 マイキラコンニャ=尻切川蜷。この蜷を食べるとノボセが下がるとの信仰がる。水稲収穫後の湿田にタンニャは多く、干田になると土中深く湿気を求めて潜る。雨上がりの温和な日和に土中から出るので”タンニャシレ”(田蜷拾い)の老女の姿がよく見られた。腰巻に襦袢、腰に”イボロ”(竹製の小籠)姿の老女が股から股へと移動する風景も今は全く見られない。 |
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タンネイ | 尋ねる 事情を聞く |
ムンタンネ=物事を尋ねる。相談ごと。転じて、男側から女側に結婚の意思を密かに確かめる場合にも”タンネテニェー”(尋ねてみる)と使う。普通、女性の縁者、近親者が尋ね役になる。両性の意見の相違による不成立の場合、三者にもれないように極内密に尋ねる場合もある。成立すると”サケムイ”(酒盛)がなされ、婚約状態になる。古くは正式の結婚式をしないで、事実上は結婚状態にはいったとも聞かれる。返事は即答を避け、男性を傷つけないように美辞麗句で断る。 | ||||
タンバテ | 頼まれて 雇われて |
タンビチュ=雇われ人。 俚諺
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タンビル | 御玉杓子(蝌蚪) 蛙の幼虫 |
池、沼、水田にすみ人畜の血液を吸う環形動物の蛭(ヒル)に似ているので、”タンビル”(田蛭)と称しているのか不明である。”ビル”とは軟体性の形容でもあるので、この称があるとも考えられよう。”ビルクシュ”=神経、筋肉を欠き、役に立たない者の卑称。 | ||||
タンブシ | 田畔 | タアブシのアが略されている。 タンブシネリ=畔練り。丸棒で練り固めて水洩れを防止する。 タンブシクナギ=鶺鴒。田畔婚者の意。鶺鴒がからだ全体を奇異な格好で動かす。”クナギ”とは交尾の情景を表現したことである。 |
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ダンプ | ランプの訛り。三分、五分ランプの別があり、五分ランプは冨貴者の家庭に、三分ランプ、フナランプ(船ランプ)は貧しい家で用いられた。電気のない時代(大正12年秋利神発電所開設)に船や船作業に使用したのでこの称があるのか。別名”マンニンドゥ”(万年燈)とも言われた。歴史的には行燈の次に流行した照明器具で、明治の中頃に徳之島に移入され普及した。前者が常置用であるなら後者は作業用、携帯用と使途が別々あった。船ランプは照明は弱いが器具が丈夫で硝子は分厚く強い針金で縦横に編まれている。雨水よけの蓋があり、濡らしても破損せず、火が消えないのが特長である。前者は少量の水分で”フヤ”に亀裂がはいったり、掃除時にわることが多かった。”フヤサレ”は子供の役であったので幼少の頃よく割ったものである。又、水洗いして十分乾燥しないうちに点灯して割ったり、たまには”カサ”、”カラカラ”も同時に破損してひどく叱られたことを記憶している。小さい竹棒の先に柔らかい布を巻いて、徐に”シシ”(煤)を落す作業は子供には不適当な役であった。掃除用の竹器具は使用後に一定地点に保管し、2、3日に1回はフヤサレに使うのであった。 | |||||
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