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更新日:2013年4月12日

尾母方言~ラ行~

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徳之島尾母方言集

島口 標準語 用例・意味等
ランガサ 和蘭傘 ダンガサと同義語。蝙蝠傘。蘭燐寸(ダンチキギ)、チキ木は付木で火薬の付いた軸木の意。蘭手拭(ダントヌゲ)、和手拭に対する洋手拭のこと。
ロックヮチドウ 六月灯 徳和瀬、亀津、面縄、阿権で行なわれる。
徳和瀬=6月25日白嶺神社で行なうがその沿革は不明である。氏子や部落民は老若男女が晴着を装い一重一瓶で境内に集まり、神前に礼拝し御神酒を受けて酒宴に移る。家庭からはトール(灯籠・提灯)を寄進して、道路から境内に至る参道の両側に吊し下げて祭り気分を高める。豊作祈願(予祝)の神祭りと地の人々は考えている。
亀津=秋葉神社は6月18日、高千穂神社は19日が祭り日である。小林正秀氏の記録によると、「六月灯は鹿児島風の祭り行事で、代官所や鹿児島商人の入りこみで影響をうけたのであろう。終戦前は非常に賑やかなものであった。六月灯は元来、氏神様にその部落の老若男女が新装して神前に礼拝し、神官、有志、世話役、村の長老連に挨拶したり、御神酒を受け、持参の一重一瓶で互いに杯を交換して夏の旱魃、台風のないように祈るとともに、天下太平、五穀豊穣を祈る行事であり、同時にまた商業者がその商の繁昌を祈る行事である。
昼間は青年の奉納相撲が行なわれ、夜に入る頃から家ごとに灯籠や提灯が軒先に下げられる。灯籠には絵や文字が書かれる。氏神様の境内には寄進灯や松ヤニなどで明かりをつけ、参拝のあと祝宴、浜踊りをする。-徳之島では明治3年廃仏令が公布され安住寺に変わって高千穂神社が創設され、これを時の在番官谷村竜助氏が氏神と指定し、明治6年砂糖売買が自由になり商業が盛んになったので、鹿児島商人がたくさん入りこみ、その影響から鹿児島風の六月灯が行なわれたように思われる。」とある。筆者の聞き書きでは、六月灯の始まりは明治30年頃のようである。

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所属課室:社会教育課郷土資料館

鹿児島県大島郡徳之島町亀津2918番地

電話番号:0997-82-2908

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