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ア行 | カ行 | サ | シ | ス | セ | ソ | タ行 | ナ行 | ハ行 | マ行 | ヤ行 | ラ行 | ワ行 |
島口 | 標準語 | 用例・意味等 | ||
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シィ | 椎 | シイヒレ=椎の実拾い。三京山に一日がかりで拾いに行き、一斗から一斗五升も収穫があった。 シィカイパン=椎粥飯。米の補いとして椎実を入れて炊いて冷すと糊状の粥飯となって美味である。 |
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シィー | 瀬 磯 海の岩石 |
川の岩石や水上の土砂。主として珊ご礁が隆起した海辺の岩礁のこと。 ムシロゼ=筵瀬。徳之島絶景の一つで畳を敷きつめたような岩足に波浪が押し寄せしぶきをあげる。訪問者が多いという。 |
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シィアイ | すっぱい 酸味 |
食物があえることに言う。 | ||
シィウェー | 仕分け 小作 |
田畑を借りて耕作し、収穫物を地主と分配する方法。 ハンハンヌシィウェー=5、5の分配率。農地法施行以前は大地主の小作者が多く、仕分けは広く行われ田。小作者は物納の米俵を地主の家に届けるのに多くの労をついやした。 |
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シィギャン | シィ蟹 瀬蟹 |
チガン=毛蟹(食用)。多くの蟹が水中に住んでいるのに反して、シィギャンは瀬(水無地の意)や道路等でも見られるのでこの称があるのか。甲羅は赤茶色で大型の種はいない。 インニャクレガン=糞尿食蟹の悪評もある。 ガンウギ=蟹取り。岩穴から餌で誘導して捕える。 ガンイダイ=蟹漁り ガンアロ=蟹囮。アロという竹製の囮で集めて捕える。 ターガン=鷹蟹。鷹の到来後の11月頃に蟹は大型に成長し、川下りして産卵する。 |
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シィーク | 精根 根気 |
シィークギリ=精根切れ。病気あがりの体調。空腹状態で精力のないこと。 | ||
シィーシ | 排尿の音からきた語と思われる。幼時語である。 煤にもシィシと言う。「天井はらはら焼みんぐい。」シィシの別名「焼みんぐい」の異称もある。 幼児語。小児に小便を催させる時に使う語。小便のこと。 |
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シィチャ | 干田 | シィはシリ、ヘル、水が減った千田。 チャは田の意。湿田にはメン田(水田)と言う。 シィチャシチケ=千田に水を入れて溜める作業。 シチケ=躾、水が洩らない躾の義か。 畔は丸田で練り固め、牛馬を田に入れ固い土を踏みこなさせる作業と馬鍬使いの作業を十分する。牛馬の尾に茅を括って泥掛を防止するなど田園風景の風物の一つであった。 |
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シィラキ | ひりひりする | 切り傷や大傷などの痛み。少しの痛み。シジラメキも同義語。 | ||
シィルキ | 旋毛前部の位置(前頭葉) | 赤子の頭骨は軟らかいので血管に依る振動がみられる。シィルキを叩くと脳震盪をおこすので注意する。生命に関係ある要所の意味からしてシィークと縁語であるのか判明しない。 | ||
ジィン | 膳 | 膳組み、数種の料理を膳に並べる。高膳、低膳ともに琉球朱塗が重宝がられてきた。 民謡
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ジィン | 銭 | ジィンカネ=金銭。ゼニの転訛した語。 民謡
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シカマ | 午前中 | シカマワク=午前中の仕事量 シカマネィーサル=午前10時頃の飲食物 民謡
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シカラァ | 性急 慌て者 |
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シガイ | 蛸 たこ |
蛸の一種だがやわらかくて美味である。 | ||
シガタ | 姿 容態 |
シガタキリテ=貧弱な容態 シガタウックェテ=姿やつれて 民謡
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シガメイ | 彼岸参り 彼岸祭り |
シガは海岸で、メイは参り。彼岸に参拝すること。シガンとも呼ぶ。中日にフゥジュグヮン(豊饒願)の豊年祭がある。この日秋餅(ムチムレ)の稲作儀礼を行なう部落もある。しかし種漬餅、種下し餅の行事と混同しているように思われる。 | ||
シガラ | 日柄 吉日 |
家屋新築、移転、結婚式等の日取り縁日で高島易断、万年暦を基にして物識り、呪者が判断する。 このほか「時化(ジカ)」と称して、田植えをしない日もあったが近年は全く耳にしない。時化の日は日中を避けて朝夕に作業をした。時化に植えても実のらないとか、牛馬の被害にあうと伝えられている。 |
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シガラ | 竹垣 | 垣でも家敷垣ではなく、川や田畑の堤防の水や竹の棚のことである。亀津港への土砂流出を防ぐため、大瀬川港口にシガラを設けて、流路を南区に変えた工事はあまり知られていないが、セメント移入以前のシガラの役割は大きかった。 | ||
シキ | 筋肉 筋 |
頸から肩にかけての筋肉または筋のこと。 シキャミ=筋の痛み。軽くもみほぐすとよい。 シキチキテ=筋が引きつける。子供のけいれん。 シキクッサッテ=痛みがひどいこと。クッシは殺す意。 |
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シキ | 好き | シキジキ=好き好き | ||
シキ | 掬う | 小海老掬い。 ターイュシキ=田魚(泥鰌)掬い。サイの項参照。 |
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シキ | 血族 血のつながり |
チュウシキ=一族 シキタイ=親族。血のつながりをもつ者。かつてはシキが重んじられ結婚の条件の一つになっていた。沖縄の門中組織、門中墓はシキを理解する好資料と言えよう。 シキマガ=玄孫 俚諺
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シキグメィ | 挽米 | 挽臼で荒割した米。 シキグメバン=荒割米飯。玄米を挽臼で割った米でおかゆを炊くと美味で栄養価も高い。挽米飯とかゆ飯は本来は別だが、シキバン、カイバンとも同義にみる場合が多い。 亀津のヤンキチシキバンは断髪精神を物語っているといえよう。 |
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シキヂゲ | シキ違い | 引違いの意か。へそ曲がり。偏屈者。 シキヂゲムン=シキ違い者の義か。 |
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シキヌイュ | 小魚の方名。4、5月頃が漁の最盛期で潮流にのって島の沿岸にくるという。シキは季節のことか掬うの義か不明。イュはイオで魚のこと。漁法は釣針は不要で網で取る。油脂でいためると骨とも食べられ美味な魚で四季の風物の一つといえる。 | |||
シギ | 髴 | 口シギ。脇シギ。目んシギ。陰陽の毛にはシギの外にクゲと類別した呼び名がある。また、陰陽毛の無い者にナンボと悪評を付ける。ナンボは滑る意で毛のない評である。 | ||
シギャシ | 東 | シギャン、ヒガ、ヒガホウとも言う。 シギャホゥ=東方。旧藩時代の行政区域であった西目間切から東間切への俗称。 民謡
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シキャシギ | 引かし木 | 牛馬の鞍に2本の荷運搬木を引かして、各種の荷物を運ぶ木製器具。米俵、砂糖樽を遠隔の地に運ぶ唯一の道具であった。現今ほとんど見かけない。 | ||
シキャテ | 光って | メシキャテ=目光って、睨む。 ナチギャイシキャイ=夏枯光る。端境期の食料不足の季荷、目を細く疲れた格好の容姿のこと。 |
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シキュシ | 引臼 | シキュは引くまたは挽くの意で。シキュウシのウは発音されない。製粉機の導入以前はすべて手引臼を使った。臼の民俗が定着しているのに反して引臼の民俗はあまり聞き出せないのは何故か。 | ||
シキユセィテ | 引き寄せて | 人生儀礼の年忌、年日、忌日等を引き寄せて早く済ませる。儀礼行事をまとめて済ます習俗がある。また、一定地点に集める意にも用いる。 民謡
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シキュマ | 農耕儀礼のうちでも重要祭祀と言えるこの行事は、新穂で飯の初を炊いて祭る。また、稲穂で祭る部落もある。 「支給米」「始給米」「施給米」の字を当てているが妥当とは思えない。豊年祝祭の意義からして新穂を供えて祭り祝う本来の意義と前記の当字は関連がない。沖縄の「スクマ森」では新穂で祀るというからこれに由来した豊作儀礼と思う。 井之川の「ムギシキュマ」神事などからして「麦支給米」の当字と支給米の意識は成立しない。島津藩の物納制度(砂糖)による食料の支給には「フェートゥー」(配当)と稱しており、支給説は当を得ていない。 「道之島代官記集成」によると、「シキュマ、稲穂ヲ根ノママ極上出来ノ物ヲ採リテ、朝ノ内デ表戸口ヨリ床ノ前ニ入レテ祝フ、此ノ日本家ニ当ル家ハ分家ノ子孫ハ初物(飯ノハツ)ヲ持参ス、吉ノ日ヲ選ビテ行フ」とある。 |
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シキェー | 引合い 約束 |
島名物の闘牛大会番組の編成で、相手牛を決めることにシキェーがついたという。違約したらグェーテ(破れた)という。 | ||
シギョロ | 貧弱 | シギョロムン=虚弱者、成長の悪い作物。 シギョロイ=寒い シギョロアガテ=貧弱に陥って シギョバンシン=冷蕃薯 |
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シギリ | 過り 小利巧 |
シギリダマシ=過ち魂。我利を主にする。転じて悪賢いこと。利巧の度を越した状態の卑称。 民謡
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シク | 節句 | ナンカシク=正月七日節句。豚骨に七草を入れた七日雑炊飯を炊く。七才の子供が七軒からもらってきて祖先棚に供える。三月三日はフチムチ(蓬草餅)、五月五日はデークムチ(笹餅)を作って食べる。 | ||
シク | 小魚 | 雑魚(ザコ・方名)に似た魚で、冬の寒で瀬に打ち上げられる。シクシロイ=魚拾い。今日程に魚穫にめぐまれなかった世代は、小魚を丹念に拾って食卓に出したものである。 | ||
シクブ | すく穂 籾殻 |
シクは空の意で、ブはフ(穂)の濁り。白穂の縁語か。普通は精米後の籾がらの意。 シクブは粘土質の畑に客土用として使うほか、水田苗代の敵である鴨を追うのに役立つ。シクブを燃やし炎の飛火で鴨を追うのである。 |
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シグン | すぐ 直ちに |
シグンシグンカイラライ=即刻に帰れない。すぐの転訛した形か。 | ||
ジコ | 粳 うるち |
粳米の対。ジコグメ=粳米。晩稲の一種。ムラカタジコは大正時代に徳之島に移入され、昭和初年にはイノボーズが植え付けられた。続いて改良愛国、奥羽一号、奄美餅、ヤマジ早稲、コガネ餅等が入ってきた。 | ||
シシ | 肉 猪 |
マシシ=赤肉、真肉の意。 ハシシ=歯肉 シバイジチ=小便肉。シバイはイバリで小便。ジチはシシの訛り。膀胱のこと。 猪のことをシシとも呼び一般的な呼び名になったのか判明しない。 |
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シジ | 筋 筋肉 |
シジブネ=筋金、筋骨 シジヌゲムン=筋脱者、怠惰者 シジタリムン=筋足者、運動神経の進んだ者 |
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シジ | つじ 頂 山頂 |
ナーシジ=中頂 シジグダイ=頂伝い シジャカデヌウヮーラ=頂は風の通り道 民謡
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シジャイ | 左 | シジャイ綱=左綱。ケンムンに目を突かれたら左綱で榕樹を括り、おのを3回打ちこみ祓う神事がある。 シジャイウチョジ=左衣。着物の右奥身を左奥身の上に合わせて着ること。死者の着として忌み嫌っている。 シジャイガッタ=左ぎっちょ。左きき。左使いは忌みの義が多い。右はネギリという。 |
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シジュ | 退け | 牛馬の訓練に用いる語。後退りさせるためにシジュを連呼し手綱を引く。 フイ=歩け ダー=止まれ ウニャ=右むけ キュー=左むけ等で動きを促す。 古
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シジリ | 薪火 | ダンチキギ=蘭付木のなかった頃、火種の保存は女性の生命がけの仕事で逢った。貰い火は慎しみ深く考えられていた。 民謡
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シタヂ | 下味 調味 |
普通ソーメン、刺身等の下味のこと。 イュジル=魚汁。味がよくて賞讃の詞として魚汁が的になる。殊にアゲジマ(山手の部落)では魚汁は到底望めない馳走の一つであった。 |
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シタムイ | 下物 下着 女性の腰巻 |
おこし。島では上流家庭の娘はシタムン、百姓は三角褌を着た。明治35年野球の試合と同時に、猿股が流行したため、明治の末には三角褌は姿を消した。シタムンは現在も老年層に支持され、冬の防寒保温用としては女性一般に着られる。 浜下りの晴衣に女性は白の襦袢と、シボリのシタムン、それに芭蕉衣をまとったと言われる。 |
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シダ | 兄 年長 長上 |
古記録によると、「シダ、シィダは中国語で、中国のチュンサイ(秀才)、久米村のスンヂャからきた古語である。」とある。年長者の称。 シダドン=年上の妻 シダベ=兄貴部 ジョウシキベ=雑色部。部とは古代の力仕事の集団に呼んだ名称で有るが、その名残りであろうか。 民謡
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シダァイ | 涼しい | シダシダ=「気がらくになる。さっぱりした面持ち。仕事が片付いて落着いた様子。農作業が進行した様子。」 | ||
シダシ | 墨指し | 竹製の大工道具。正月二日の大工祝いは大工始めと大工神祭りの日である。道具を床前に並べ神事がある。シダシを一本造ると仕事始めとなり、仲間で作業安全の祈願をなし、酒宴に移り家々を釜廻りする。また部落によっては、木を台木(盤木)や、木馬にのせて荒削りの作業をする。 徳和瀬の祭詞「吾が拝どん大工ぬ神様、今日の良かる吉日、拝で奉(ウエ)せるんけ、拝み不足んば無いん候得不、知らい不足んば無いん候得不、本当に受取って給れ。」と大工神に祈る。 |
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シチ | 棺 | ヒツギ、ヒツ、シツ、シチの転訛か。それとも櫃、ヒツ、シツ、シチの訛りか。棺には石棺、亀つぼ棺、木棺(座棺、寝棺)等の区別がある。古く棺櫃型の箱(琉球塗り)を唯一の嫁入り道具として持参した。これにもシチと呼んだ。たんすの別名。 | ||
シチケィリ | 躾の意。 クヮシチケィリー=子供の躾、教育 トジシチケィリ=妻を虐待する。躾と虐待の両面を言う。家畜にも通用する。 口論で敗れた様子にもシチケィラッテと呼んでいる。 |
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シゲキ | シゲキのチキは、突く動作を示している。大根、人参を千切に突き、細かくすることをシヂキと言う。シを酢と考えるのは、行き過ぎであろうか。酢物の料理のために大根を突いたとすると意義は成立しそうである。「酢突」の提起をする。 シヂキガナの器具は木や竹の枠にブリキを打ちつけた程度のものである。ガナはカンナの訛りである。古く甘しょや大根などが主食であった頃シヂキガナは貴重な器具の一つであった。 |
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シヂクイ | 巣づくり | 野鳥が産卵のため巣をつくること。転じて妊婦の出産準備にもシヂクイを始めたと皮肉ることがある。放鶏の産卵場所は普通一定している画、シヂクイが適当でないと場所を転々と変えることがあった。シマブイ(巣守り)を欠くと産卵場所(巣)を移動する。 | ||
シヂリフタ | 硯蓋 | 祝祭の祝りに、馳走を盛る長方形の膳。中には種類別に料理を分けて並べる方形の高膳風のものもある。シヂリフタの多少によって祝祭の盛貧を評価していた頃は、シヂリフタは尺度の一つであったと言える。 | ||
シッキラ | 海鼠 なまこ |
シッキラムン=海鼠者。いわゆる動作の鈍い者の例え。なまこの運動神経が遅鈍であるからの意である。 | ||
シックイ | 寒さのため魚が凍死すること。2月の寒波の頃に瀬に打ちあげられた魚を拾う風景がみられる。シックイの意不明であるが、瀬に凍る意ではなかろうか。再考を要する。 | |||
シックリ | 悪賢いこと。 シックリムン=悪賢い者。シギリ(過ぎり)と縁語か。私利私欲、欲張り過ぎた利巧。知恵が過ぎて正常でないこと。 |
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シッタイ | 濡れる | アメネシッタテ=雨に濡れて。 シッタリムン=濡れ者。 シッタリバナシ=濡れ話。エロ話。陰陽の話。情交の話等の称。濡れる形容からきた語か。濡れ鼠の様子。活気のない者。何時まで梲のあがらぬ者。 シッタリワレッテム=小児みたいに。相手の卑称に使われる。「湿垂れ」の配字はいかが? シッタイナテ=酷くやつれて、大変衰えている。 |
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シッピィテ | へこむ 凹む |
空気の少ない毬の状態を言う。 シッピィバンシン=甘しょが水分を多量に含み、じくじくして食べ難い状態の称。 体が病気のためやせ細っていく状態の称。 |
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シッペェ | 十分 | シッペ働いてこい。 シッペクッペ=滅茶苦茶。 |
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シデリィ | 孵 | ひよこが孵化する。蛇の脱皮にもシデテと言う。蟹の脱皮したものにシデリガンと呼ぶ。 | ||
シトメテ | 古語つとめての訛。 「早朝、ツトメテ=シトメテ夙設けて」大言海。 ツカマ=ツト構えて、アサカマ朝の頭部(カマチ)、早朝=シキアサマ=朝、朝っ小間。アシ=朝飯=朝を午前のことと取る。 シトメテネーサル=早朝の食事、夕食の残りを食べるのが通例であった。 ネーサルワケ=朝食以前の農作業のこと。明治、大正の頃はネーサルワクを終えてから学校に通う者もいたという。 ネーサルブイ=朝食用の甘しょを掘ってくること。 民謡
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ジナシ | ジナシナビ。大鍋。鉄製の煮鍋。アンマル鍋の対。 | |||
シヌキ | 辛い | 民謡
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シネ | 臑 | すねの訛り。ハギ(頸)ともいう。脚、足の事。 シネヤミ=臑痛み。 シネブネ=臑骨、足の卑称。 俚諺
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シノ | 木質部 | 枯死して繊維が弱くなった木質部のことで古く火種を保存するのに用いられてきた。チキギ(付木)、ダンチキギ(蘭付木)がなかった頃、愛煙家はタバクリ(煙草入れ)にシノを入れて使ったという。現在もこの風は見られる。 転じて酷くいたんだ、状態にシノみたいになったという。 |
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シバ | 舌 | シビャ。 ターチシバ=二枚舌。 シバヌギジャチ=舌抜出して、青大将がペロを出した様。 俚諺
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シバイ | 小便 | 古語のイバリと同義語か。 シバイキャンビ=寝小便。人を小馬鹿にして使う場合もある。 シバイチヂ=小便肉、膀胱。ジチはシシの訛りで肉のこと。 ウワーシ=豚肉 イノシ=猪=ヤマシシ マシン=間肉、赤肉 マイシシ=尻肉 民謡
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シバチ | 火鉢 | 自然木を彫り抜いてブリキを張って使う。残り炭火や自家用として木炭を燃やした。 | ||
ジバン | 襦袢 | 浜下り襦袢は純白の衣で、上に三元綾衣と芭蕉衣。袖花衣を着る。下着にはシボリを着た。 | ||
シビ | 白穂 | 稲などの穂に実がはいっていないもののこと。シラボ、シボ、シビの転訛。 | ||
シブ | 芭蕉の根株からとる液のこと。昭和の初期まで三味線の鼓張りに使った。卵の黄みとともに重要な接着剤であった。 世間胸算用
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シブイ | 冬瓜 | 俗謡
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シブイ | 絞る | キンシブイ=濡着物を絞る。 シブイワタ=絞り腹とは赤痢のこと。急性伝染病の一つで下痢が激しくて粘液性の血便を出すとき、絞る様に便が出ることと、絞る様に腹が痛いのでこの称をつけたものと思う。 |
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シマ | 村落 | 村のこと。徳之島のシマは島ではなく、国、村落、故郷を意味する。古語のシキシマ、シキ(堅固な城)、シマ、斉廷、と関係ある語。シマムチ治国。シマ名残。郷愁。 シマヤシマナレ=習慣になれる。 民謡
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シマウタ | 島唄 | 島の民謡。音楽研究家の久保けんお氏の説によると「徳之島は日本旋法の南限であり、流旋法の圏内に属する沖永良部以南とはっきり一線をひいているのである。」(徳之島の民謡・NHK鹿児島放送局篇による。) 徳之島町誌第5章民俗芸能の項で小川学夫氏は次のように述べている。「これまで徳之島を闘牛の島と呼ぶ人はあっても、唄の島、踊りの島という人はあまりなかったように思う。 しかし我々の調査が進むにつれ、-民俗芸能の一大宝庫である。-他の島(沖縄、大島本島、沖永良部島)の唄や踊りに比べると、鑑賞芸術としてはそう高められたり、洗練されなかったという、うらみは確かに残るかも知れない。-実際には生活そのものに密着し、-むしろ他のどの島よりも民俗芸能としての初源的な姿を維持し続けた島だといってさしつかえないと思う。」 |
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シマニャシ | 村落見せ | シマは故郷の意で部落の見おさめをさせ最終的な別れを告げる。墓地近くか部落はずれのシマミセドゥ(部落見せ堂)で棺おけを置き、シマやシマ人との別れをすると同時に、棺おけを三回廻し霊が再度家に戻って友引などの災難をおこさないようにとの意で、霊を路迷いさせる。即ち、生前と後生の道との縁切りになる。 | ||
シマバタ | 島機 長機 高機 |
大和機に対する機の事で、従来の地機を島機と呼んだ。記録によると、「織機は吾藩のものに格別かはる事なきやうなれども、足短きが如し。」「島機は明治16年に笠利村赤木名出身の永江伊栄温によって長機に改善された。」「大島紬の絣締機を開発して名瀬に紬工場を開設、明治34年大島紬同業組合が結成された。」「明治38年から大正8年まで紬業は大景気を迎えた。大正2年に比べて、工場数90倍、職工数15倍、生産高13倍、価格51倍にはねあがった。名瀬の料亭でビールで足を洗ったという噂が巷間に伝わったのはこの年である。大正8年度は鹿児島で45万反、大島で30万反、合計75万反の紬が生産された。大正9年から我が国の経済恐慌の影響を受けて紬業界も不況となり、昭和2年を最高に紬生産は減退し、価格は1反15円台に下がったという苦境時代があった。一方地機は影を潜めてその後姿を消した。昭和44年県の委託を受けて徳之島町徳和瀬、松山光秀氏宅において地機の製作と、芭蕉布の製造、織過程を記録した。記録書は県に保管されている。「ヂバタ」の項に関連資料あり。 | ||
シマブイ | 巣護り | 鶏の卵を一個だけ巣に残しておくこと。放し飼いの鶏は、シマブイがないと産卵場所を転々と変える。それで一個は一定の場所に残しておいた。巣護りの意味から縁起がよいとして他の場合もシマブイを残す風習があった。 | ||
ジミ | 燈心 | 燈油に浸して灯をつける物。古く皿に豚脂を入れて木綿のジミを使って照明にした。続いて種油石油と燈油もちくじ入手し易くなった。ランプのジミの調節が悪く、燈火が大きいとランプのヘヤに亀裂を生じてわれることがしばしばであった。 ヘヤ掃除役のこどもは大人より強く叱りをよくうけたものである。 アーシ(松油木)も燈火の歴史に残る一つであったことを付記しておく。 |
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シミネ | 山子 | 見かけだけで実力の伴わないこと。 俚諺
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シムル | 巣守る | スマモルの訛りか。鳥が巣について卵をあたためてもヒナに孵らない卵のこと。即ち20日経ても巣に残るので巣守りとよんだであろう。転じて死体で生まれる胎児にもシムルと呼ぶ。また植物の生命力の無い場合にも言う。 シムルウギ=立ち枯れの甘しゃ。 |
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シメ | 地面にさす茅や竹のこと。 シメサシ=茅を田の畔や畑にさす。 農作物の害虫を防ぐために「アンダネ」「アンジャネ」(畔払い)の日に田畑に茅の葉の先端を丸く括ってつきさした。「琉球由来記」によると「害虫を除く斉戒の意で、奇麗日であり忌日である。琉球習俗と同圏内属する。」別な面では牛馬の草の管理で一定領域内での草刈を禁ずるために竹のシメを地面に突きさしておいた。領域や聖域のしるしとして承認されてきた。手々では人が死んだら、死人の田畑に行ってシメをさして悪祓いをしている。(忌事) |
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ジャ | 土鼠 | 土中に住み夜間または床下などの暗所でチッチッと鳴き声を出す。家の中に入ることは滅多にない。ジャ独特の臭い香を出す。土竜(モグラ)、(イタチ)とは別種か不明である。ジャみたいな者と相手の卑称にも用いる場合もある。 | ||
シャムレ | 侍 武士 |
サムライの転訛。 俚諺
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シュ | 主 衆 |
シューガナシ、衆加那支。士族階級の中年以上の男子への敬称。またユワイチュウともいう。考え方では、百姓からみた教育を受けた教養ある者とも言える。知識はあっても定職に就けない者や技能を欠く者にはシラタマシュウ、シラタマフジと呼んだ。 民謡
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シュ | 潮 | シュミチ=満潮。潮満ち。 シュミチャガイ=潮満ち上がる。満潮に至る時は縁がよいと言われ、結婚式、命名式等の祝式はこの時間帯になされてきた。時刻信仰の面から意義深く申時生まれ(前述)と対称になる。 |
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シュ | 父 祖父 |
フッシュ=大祖、祖父。呼称は地域によって異なるが、伊仙地区はフッシュの分布が広い。 | ||
シュー | 数える | 現在はほとんど使われない。死語に近い。 民謡
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シュイ | 刀 | シギシュイ=髴剃り 俚諺
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ジュイ | 料理 御馳走 |
ズリヤ、ジュリヤは尾類屋の意で、料理屋の別称であることから、料理のことにジュイと呼ぶようになったのか。 尾類は情交女の意で、かつて料理屋の女が酌婦として接待のほか、情交もしたのでこの両者が密に結びついてきたものと思う。 精進ジュイ=肉、油脂を嫌う仏への供え料理。 |
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シュウイ | 日柄 吉日 縁日 |
高島易断書、トキ双紙などによって日柄を選び、吉日として家屋建築、結婚式等の挙式をなす。万年暦は古くから活用されていたらしいが、特定の呪者や物識りがその任に当っていたため、一般の人はシュイの決定要因をあまり知らない。従って部落にシュウイの日を広告する習俗も残っている程度である。 | ||
ジュウグャ | 十五夜 | 八月十五夜のこと。島の年中行事の一つである。徳之島町神之嶺の十五夜には、他に類のない稲作儀礼が判然と残っている。新藁で綱をかき、各家庭からは新米の餅が届けられ、大生氏の家で豊作感謝の儀礼が行なわれる。庭の神石の前で神事が済むと、綱を神石に三回こすりながら家の中に引き込む。豊作の幸を招き入れる意である。その後は近くの路上で綱を引き、勝負は来年の豊凶を占うのである。「シカマや今年、ユシクイや来年」の諺の通り午前中に植付けた甘しょは年内の食料となり、午後のは翌年の分となる。このことは十五夜が季節の折目として考えられてきたことと、十五夜を目標に農事に精出した百姓の生活のけじめにもなった。 | ||
ジュウロクンチ | 十六日 | 正月十六日。ジュウロクンチショウガチ。十六日正月。年中行事の一つで正月儀礼。 (1)親方祭り、祖先祭り (2)祭り (3)十六日正月 (4)止め正月 (5)別れ正月 (6)十六日節句 など呼び名が多い。戦前は一重一瓶で青年男女が会場に集まって余興をにぎやかにした。 祖先祭りには豚肉、野菜の重箱料理で墓参りをする。祖先正月は墓前で一族そろって祖霊を崇める。 かっては墓前から浜に下りて祭る部落もあったというが詳細は不明である。このことは祖霊を洋上に送迎する信仰と結びついているものと考えられる。新骨の家では、子や孫が集まって酒盛りをした。 十六日正月、止め正月は文字通り正月の終わり(折目)を告げる日で、この日は青年男女が中心となって新しい仲間同志が集まって最後の正月をする。 |
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シュク | 小魚 | 冬期にとれる。凍死したシュクが瀬に打ち上げられると、これを拾う風景が見られたものである。 | ||
シュクデ | 机 | シュクは引く、デは台の意で、引き出し付きの台の総称か。それとも宿題用に使う台、食台の何れかの意義から付された語であろう。 | ||
シュケィ | 酒肴 副饗 料理 宴会の肴 |
チャンチュケイ=茶副饗。お茶づけ。茶漬。 サケンシュケイ=酒に副える料理。 一重一瓶の宴会場や馳走の残り料理の意が多分にあるように思う。 民謡
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シュゴイ | 涼む 風が吹く |
転じて休憩の意にも成る。 カデヌシュゴルウワーラ=風光のこと。風が吹いてくる方向。 ウヮーラヌクス=風光での野糞を慎めとの俚諺。広い意味の教訓である。 民謡
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シュシ | 鵯 ひよどり |
ウンシュシ=海鵯、磯鵯。 シュシブシも同義語。海鵯にはウンドイ(海鳥)、カンジャチク、シュシブシ等多くの方名が付けられている。山鵯は食用になり美味である。 |
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シュチケ | 塩漬け | シュチケウヮーシ=塩漬け豚肉。シュは塩潮の意。 シュチケグムイ=塩漬け溜り。クムイは溜りの意で、ミジグムイ(水溜り、自然水の溜る泉)の俗称で親しみ深い。 按司割拠時代(奈良、平安、鎌倉時代)の頃徳之島では按司が各地に居城を構えて周辺を支配していた。伊仙町馬根の南東に按司屋敷跡があり、そこの盗人按司が地方民の作場小屋から飼育牛を盗み出して秘かに殺し、食べた残りはシュチケグムイに塩で漬けておいて必要な分量を取り出して食用にしたという。また、塩が欠乏すると水漬けもできる水溜りであるところからして、或は水溜りに肉を隠匿し水漬けをしたことも考えられる。 |
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シュッチ | 引いて | ウシシュッチ=牛綱を引いて チナシッキ=十五夜綱引き。伸ばして クシマットバシュッチ=背を真直ぐ伸ばして |
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シュテチ | 蘇鉄 | 蘇鉄の実包にあるナミヌハナはかって手毬を作る原料であった。また、シュテナの実と茎は食料となり、飢饉をしのぐ唯一の作物であった。 明治、大正の頃は、1月2日を初原と称して一人何本との割当による蘇鉄の栽植を実施してきた。 |
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シュデ | 袖 | シュデナシ=袖無し。シュデキリ=袖切り。も同義語だが、袖無しの場合は綿入り袖無し衣をさす。かって浜下りの晴衣の一つに「シュデバナギン」(袖花衣・袖に黒系のししゅうを施した衣)が重宝がられた。 八月踊り唄
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シュトキ | 潮時 漁時 |
シュは潮または塩の意。 カラシュ=干潮 ウッシュ=満潮 シュミチ=満潮 マシュ=塩、真塩、真潮。塩の純白さから真白が変移したのか。塩の専売制度以前は塩の自給制度があり塩炊き釜が海辺に林立していた。 明治の頃は濃い瀬溜りの潮水をくんできて自家製塩し調味料としたり、潮水煮の甘藷を常食にしていた。川の蟹や鰻の漁りが豊かにできる頃合い、即ち長い乾期あがりの雨の夜屋、温和な日和などに言う。(豊漁時刻) 民謡
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シュブラ | 白い太鼓腹の小魚(方名)。 シュブラワタ=太鼓腹。ワタブッタ(腹太)と同義語。 シュブラケーテ=家畜が満腹状態になった称。子供同志の悪口の言い合いに使われた。シュは潮で、ブラは腹とすると潮腹の意とも解されるがいかがであろう。全体的に卑称に使われる。 |
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シュラ | 末 先端 |
甘蔗葉(ウギンシュラ)。血族関係で血縁が遠いこと。 民謡
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ショウ | ショウとはすの転訛か、巣にはシと発音、シマブイ(巣守り)即ち巣を守る形容から、後に残す員数(一つ)の意が強い。 ショウヌゲテ=ゲームを一回無事終了し、得点を入れた際に言う。 ショウイーテ=得点をかせいだ。又、国取りや鬼ゴッコでのショウバンは、自分の陣地の留守番、警護役のことであった。現在は死語に等しい。 |
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ショウイー | 連れる | 沿いの意か。連れ沿うの転訛。 チュウショウイ=人連れ トジショウイ=妻連れ、結婚する。嫁が男方に来ること。結婚式の称。 |
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ショウインバン | 旧暦12月20日の称。ショウインの意不明。バンは飯である。従って20日の晩は飯を炊いて馳走する習俗があった。馳走をする決定的な要因については論が多いが、下男下女への餞とか、前正月とか、歳神の迎え行事などと伝えられている。鹿児島民俗47号、「奄美大島のソーリ」小野重朗氏の論文によると、「ソーリの行事は原則的には稲作儀礼であるという。沖縄、大島本島、喜界島にもソーリは分布していることからして、その内容を吟味すると、笠利町用安は旧11月の吉日にソーリバン、フキャゲを作って食べる。ツワの花を祖先や墓に供える。」このことは伊仙町面縄の種漬餅(バンムリ)の日にツワの花を供える儀礼と共通している。 前記の家人達が稲作儀礼の祝祭用馳走にあずかって身請された云云葉、本来転倒したこじつけに外ならないであろう。(儀礼の伝説化、昔話化) |
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ショウガチ | 正月 | 正月準備は、畳、衣の新調、餅搗き、豚屠殺清掃、食料等の準備が必要であった。元旦は若水汲みにはじまり、家祝い、吉書、正月回礼等がある。二日は大工祝い、船祝い、初原迎え、新家祝い等がある。三日正月は回礼を終え、道普請に出る。五日節句は初集会、道普請のほか二才正月がある。七日正月は七日雑炊、八日は金山、鍛冶祝い、十一日は餅おろし、十三日は十三才祝い、十五日は子正月、十六日は先祖祭、二十日は送り正月と続く。その間、歳日、年祝、坂迎、釜回りと人生儀礼は多かったが、現在は生活改善の縁で合理化され、急速に行事は簡素化されつつある。 | ||
ショウサゲリ | さんざんに懲らしめる。痛く打撃を与える。 | |||
ショウチ | 準備する 作る 調整する |
ジュイショウチ=料理つくり キンショウチ=着物をつくる 民謡
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ショウリリ | 萎れる | 植物の葉柄や茎がしなびて活気がなくなった状態。植物の老化現象、水分不足による現象。 民謡
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ショウロゥ | 精霊 | ショウロゥガナシ=精霊様、先祖様。 | ||
ジョー | 戸 | ジョウグチ=戸口、門口、家の入り口。家のジョウ葉、表(ウモテ)んジョウ。東(アガリ)んジョウ。クダンジョウ。北(ネシ)んジョウ。通(カ)いジョウ。玄関ジョウと略6つの出入口と窓が主屋にあった。それぞれの機能があった。 民謡
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ジョウシキ | 雑色 | 炊事のこと。 ジョウシキベン=雑色部。部とは平安時代の氏と姓の制度に関係があるかも知れない。トンベ=弔部。ウシウイシ=牛追部。運搬部など仕事の分担に部をつけて呼ぶ場合が多い。古語の雑色部の意とすれば解決できるが、後考をまつ。 |
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ジョウノゥ | 上納 税金 |
納税の意。旧藩時代は黒糖の上納制が厳しく。物納制をつらぬいた。上はお上、役人に対する考え方で、お上に貢献する意からきたものと思われる。明治、大正を通じて役人を尊敬する思想が育てられたため、このような意識を生じさせたのか税納の転訛か、それともその何れであろう。 | ||
シラ | 坂 坂道 |
アキチュシラ=亀徳と徳和瀬の間の坂道。 古事記上巻に「是に伊邪那岐の命-爾に御偑(はか)せる十拳(とっか)劔を抜きて、後手(しりへで)に布伎都都(ふきつつ)逃げ来るを、猶追ひて、黄泉比良(よもつひら)坂の坂本に到りし時ー。」とあり、註に「書記には「泉津平坂」鎮火祭祝詞には「与美津枚坂(ヨミツヒラサカ)」とある。黄泉国と現し国との堺。比良は平ではなく崖であったと思われる。」とある。 坂下(シラグダイ)り。坂道(シラ)。 全島口説
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シライ | 知らい 相談 |
シライグト=相談事。相談をする際の敬語。 ムンシライ=物事の相談。 民謡
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シラタマ | シラタマシュウ=無技能生。シュウは衆または主で尊称。農家からみた教養ある者、いわゆるシュウ組の称。また知識、教養はあっても定職に就けない者にも言う。シラタマフジも同義語。 | |||
シラバイ | 旧5月の天候の称。海上が凪ぎて帆船の航海語であった。5月になると天は白くなり天気はよくなる。シラバイは白南の意か、「シラハイノッカケテ」の天候用語がある。クルバイとは旧3、4月の田植えが終わった頃の天候のことで、黒南の字義のように天が黒くなり悪天候となる。「エーマーウシトーシ」=旧3月の天候は野外に飼う牛馬には痛手の風であった。エーはやせる、マーウシトーシは牛馬を倒す意である。この頃の風に別名「ウレジンクチョブキ」とも言う。やがて長雨があがるとアラベ、アラバイ(荒南)が吹くが帆船の難破の多い季節である。ネシアガイとは旧12月から2月の頃に吹く風で、帆船を損うことが多かった。砂糖積の帆船、別名「十日下りの船」は危険を避けるため5月のシラハイまで大島本島の芝港などの良港で待機していたという。 | |||
シラフェー | 白灰 石灰 |
シラハイの訛りである。石灰は砂糖の結晶に必要であるばかりでなく、セメントが移入されるまでは、タダキ(便所)やアイタダキ(藍汁溜)の構築原料として貴重な扱いを受けた。石灰に砂、砂利を混じてタダキの壁に叩きつけたのでタタキの称となった。5、60年以上経過した今日でもセメント同様に固く残っている轟木のアイタダキは当時の模様を物語ってくれる。 | ||
シラホームン | 白埃 白ほこり 白細埃 |
シラは白いの意で、ホームンは細いの意とすると、合点がいくように思う。 | ||
シラメキー | ひりひりする | 傷口が痛む様子。特に切傷の軽い痛みと、薬品の刺激による痛みの様子のこと。 | ||
シラン | 虱 | シランタリ=虱着物を着ている。虱の卵にギギャと言う。 シランアサイ=女性の頭髪の中を虱探しすること。終戦前後の衣類不足の頃は虱がわき、肌着は虱と卵が繁じょうしたものである。衣類のシラアサイや湯沸消毒の風景もよく見られたものである。 シランダリダックェー=井之川にはイビガナシ等14ヶ所の聖地が祀られている。イビガナシにまつわる伝えによると、昔、長髪に破れ衣をまとった老人が沖から流されてきて海辺の大岩に乗っていた。破れ衣には虱が数百匹とわいていた。部落の人達は老人を追い出そうと企て、石を投げるなどの乱暴を加えたが、W家の先祖だけはシュギ(粢)を与えて保護した。老人は岩穴で秘かにくらしていたが、W家の先祖にお礼として「汝一家の繁栄を保護する。」との言を遺して姿を消した。その後、W家はシランタリダックェ(虱のように繁殖する意)といって繁栄した。逆に石を投げた者たちは、ナンバレダックェと言って生活にも困るようになった。祀り日は、老人が流れ着いた旧5月17日、行方不明になった旧8月11日(イビになった日)の二回握り飯と焼酎を供えて祀っている。 |
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シリ | 下 下方 |
方角用語である。地形的には低地にあたる方角の総称。 シリンキリ=低地の区画。行政地域としては島尻(ジリ)村(現在の伊仙町)は徳之島の南部に位置しているので、斯様な村名を佳名したと思う。明治41年4月1日、島嶼町村制実施によって、明治21年以来の伊仙方17ヶ村を島尻村とした。面縄方17村は、明治30年8月戸長役場を伊仙村に移転したため伊仙方と改称した。 |
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シリクギ | すりこぎ 擂粉木 |
味噌を鉢にする木製の器具。 | ||
シルガイ | 汁貝 | 貝製の柄杓。かって柄杓(汁汲用)には海の大きな貝が使用されたことからこの称がつけられたであろう。杓子の方名。シルガイの逆手使いは戒められる。 | ||
シルクミ | 痺れる | 血液の循環が悪く痺れる。普通は正座の結果シルクルの現象はおこる。 | ||
シルサビジョウ | ジョウの部参照。裏悪口のこと。 | |||
シルシ | シルはする。シはウシの訛りで臼。摺臼。木製の籾摺臼。精米機が移入されるまで、米摺は女童や主婦のユナベ(夜業)であった。正月飯米、普請飯米の準備は隣り近所、親族が手伝いに集まり応援するのが常であった。又、青年達は三味線を奏で、女童たちのユナベを応援する風景がよく見られたものである。雌雄二組の木製器具であるが、重みで籾を摺るため幼児を上にのせて重みを増す工夫も必要であった。喜んで乗せてもらったことを記憶している。 | |||
シルビィ | 主家の裏の間(暗い間取り) | 長期の病人はシルビィに就床する。また出産室でもある。シルは昼広い何れか有ろう。ビィは部屋の義と思う。 | ||
シルチャ | シルはヒル、ヒロは広。チャはイチャで、イは発音されないが板である。広い板であることは異議がない。 田植えの直前に本田の地均しをする木製の器具。 |
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ジル | 地炉 | カマインチャ=釜用の土。粘り気のある土に切藁などの繊維を混ぜて地炉に釜を造る。周囲は木のわくを組み、内側に粘土を塗って防火措置をする。 ジルガミ=火神、地炉に向ってヤナグチ(忄(りっしんべん)に卑・言)や小言を言ってはいけない。火神の鎮座する聖域であり、不潔にすると罰を受けるという。ウカマガナシ(お釜加那支)ともいい、鍛冶神にも通じるものがある。地炉の上にはアマダ(天棚、雨棚)を設け、薪の乾燥に使った。1m平方程の丸太の棚を一重、二重に吊り下げて、砂糖樽のクリ水を乾燥するのに使ったが、今日全く見られなくなった。 |
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シロ | うそ 嘘 |
シロムン=嘘者。嘘を平気でいい心が曲がっている者の称。 | ||
シロィ | 拾い | シシロイ=椎実拾い シロイムン=拾得物 シロイグヮ=拾い子。シレグヮとも言う。正式に結婚しないで出産した子。私生児のこと。 |
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シンギ | ひしぐ 拉ぐ おしつぶす |
シランシンギ=虱潰し白虫潰し。転じて微小生物を殺す意に使われる。 | ||
シンギァ | 古
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シンギァ | 尻具 | 牛馬の鞍を固定する付属道具。マイシンギァともいう。マイは臀部のことである。馬の尻具は尾のつけねに装置するが、牛はやや下部になる。サナギヂナ(褌綱)が用を足さない時にシンギァが尾部に触れると、牛は驚いて駆け出し危険なことさえおこす。薪を荷負した牛が崖に落ちて死ぬという惨事もあった。 | ||
シンギリ | 逃げる | シンギメッタ=シンギュメッタ(逃げ口読み)、まともに話さないで一人で勝手にしゃべること。また筋道を立てて話しをしないで、飛び話をすること。逃げ冗言、冗舌の意。 | ||
シンギリ | 過ぎて | ニシンギテ=煮過ぎて。餅搗きのとき米のむし具合を判断する用語。よく煮えて柔かくなった状態。 | ||
シンケイ | 神経 | 転じて神経患者の事。気違い者。狂人。またフリムン(狂者)とも言う。 | ||
シンコ | 怠 怠情 |
労を嫌うこと。牛馬がまともに働いてくれない時にシンコしたという。シキヂゲと同義語。 | ||
シンシャク | 腹部の痛み。腹部神経の痛み。疝気の一種か。古く盲腸が医学的に解明されない以前の病名。慢性の胃腸症状で引き付けがひどく痛む。腹筋の痛みか。 | |||
シンショウレ | 致乃候得 して下さい(敬語) |
候文の形式として残っている語。 モインショウレ=参り候得。いらっしゃいと同義。 インキャゲーショレ=召しあがり下さい。 |
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シンデリ | 滑る | 泥道で滑る。土砂がくずれる。 シンデバマ=滑り浜。徳之島町神之嶺の東側にある浜のことで、神嶺(シンデー)浜の説もあるが、前者が自然に思える。地理的には神嶺地区の意義があり、地形的には急坂を滑り下る浜であるとの意義が成立する。現在観光地として外来の人も見えるという。 |
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シーワェー | 仕分け 小作料 |
田畑を貸して耕作させ、収穫を地主と耕作者とが分配すること。分けることをワェイと呼びなれてきた語で、小作料の語は殆んど縁がなかった。 | ||
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