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更新日:2022年4月14日

井之川安住寺跡

読み方 いのかわあんじゅうじあと
史跡区分 史跡
所在集落 徳之島町井之川

 

井之川安住寺跡:ふるさと井之川(CD「井之川の夏目踊り」より)

 

徳之島最初の寺院である安住寺(薩摩藩の命により創建された禅宗系の寺院)が井之川に建立されたのは、元文元年(1736)のことです。裏の岩山は集落の聖地の一つでウェンニグシクといい、枕状溶岩でできています。ここから海側にかけての字名が「テラシキ」で、かつて安住寺の敷地でした。

徳之島前録帳【注1】によれば、住僧として玄信(げんしん)という僧が来島し、この時から島中の宗旨が禅宗に改められたことが記されています。しかし、その後安住寺はどういうわけか同じ場所に定着することなく、移転を繰り返しました。延享元年(1744)に亀津村(かめつむら)へ移り、明和7年冬(1770)には伊仙村(いせんむら)義名山(ぎなやま)、さらに天保3年(1832)には再び亀津へ移されています。井之川のこの地に安住寺が建っていたのはわずか8年でした。

明治の代になって間もなく、廃仏き釈運動により安住寺(亀津)は廃寺となります。しかしその跡地は山徳峯(やまとくほう)たち有志の手によって簡易学校に生まれ変わり、全島から子供たちを集めて明治5年に開校しました。これが徳之島における学校教育の始まりとなりました。

〈注釈〉
【注1】 徳之島前録帳
  徳之島に残る古文書で、『面縄院家蔵前録帳(おもなわいんけぞうぜんろくちょう)』といい、薩摩藩支配時代の歴代代官などの名前や事件が記録されています。

 

 

 

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