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読み方 | かめつあんじゅうじ |
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史跡区分 | 史跡 |
所在集落 | 徳之島町亀津 |
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徳之島の古記録「前録帳」【注1】によれば、元文元年(1736)薩摩藩主の命により井之川(いのかわ)に臨済宗安住寺が創建され、住職として僧玄信(げんしん)が下島し、このときから全島民の宗旨が禅宗に改められたことが記されています。徳之島における最初の仏教系寺院です【注2】。
以後5年から10年ごとに「宗門手札改(しゅうもんてふだあらため)」という戸籍調査も行なわれるようになりました。安住寺は延享元年(1744)に亀津村へ移り、明和7年冬(1770)に伊仙村義名山(ぎなやま)、さらに天保3年(1832)には再び亀津へ移されています。
前録帳に宮元(みやもと)【注3】と書かれたこの地のすぐ横は上殿地(ウェントノチ)と呼ばれ、琉球支配時代からの役宅がありました。更に海岸に下ると蔵屋敷や郷士泊(ごうしどまり)と呼ばれる港もありました。安住寺では、向学心旺盛な子供たちへ学問を教え、文化の向上を図りました。明治に入って間もない頃、廃寺となった安住寺を地元の有志達が買い取り、全島から子供たちを集め、明治5年に簡易学校を開設し、亀津小学校へと引き継がれました。ここから後に「日本一の亀津学士村」が生まれました。
〈注釈〉 | |
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【注1】 | 前録帳 |
徳之島に残る古文書で、『面縄院家蔵前録帳(おもなわいんけぞうぜんろくちょう)』といい、薩摩藩支配時代の歴代代官などの名前や事件が記録されています。 | |
【注2】 | 観音堂は寛文10年(1670)、諸田池(しょだいけ)の完成時に建てられています。 |
【注3】 | 宮元(みやもと) |
「宮元」とあることから伊仙に移る以前も同じ場所に建っていた可能性があります。 |
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