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更新日:2022年4月14日

奥山家(西郷松)

読み方 おくやまけ(さいごうまつ)
史跡区分 史跡
所在集落 徳之島町井之川

西郷隆盛

大島 三右衛門(おおしま さんえもん)と名乗った西郷隆盛が遠島になって徳之島の湾屋(わんや)に上陸したのは、文久2年(1862)7月初めです。間もなく沖永良部へ再遠島の命令が下り【注1】、居住していた岡前(おかぜん)から井之川(いのかわ)へ移ってきたのが8月28日のことでした。沖永良部行きの船が来るまでの間、当時東間切(ひがしまぎり)の惣横目(そうよこめ)であった奥屋山(おくおくやま)宅に寄寓しました【注2】。それが現在の奥山家です。庭の「腰かけ松」は、西郷がこの松に腰かけたことがその由来となっています。西郷隆盛は17日間ここに滞在しましたが、この間「役人は自らを正し、住民を指導するように」「私もみんなのために頑張るからみんなも歯を噛みしめて頑張りなさい」などとよく諭していたといいます。自由に生活することを許されていた徳之島と違い、今度は牢込めの命令を受け、半ば死を覚悟していたのでしょう。西郷は親しくしていた人々に見送られ、閏8月14日沖永良部島へと旅立ちました。

宗門手札改帳

宗門手札改帳

稲留流砲術免書

稲留流砲術免書

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈注釈〉
【注1】 この頃藩の実権を握る島津 久光(しまづ ひさみつ)は江戸に上っていましたが、家老たちが西郷隆盛を徳之島に在留という軽い処罰に止めてあることを知り、島替えの上、牢込めにし、決して開けてはならぬとの厳命を下したといわれています。
【注2】 奥山家は、数多くの古文書を保管し、そのうち左の三点は町指定文化財となっています。
 
系図 戦国時代の三好家の家臣であった奥山 忠政(おくやま ただまさ)から始まり、宝暦年間、横目として徳之島に赴任したことなどが書かれています。
宗門手札改帳 薩摩藩時代は、「宗門手札」という木札を一人ひとりに渡し、島民を管理しましたが、この改帳はそれをまとめたものです。
郷士格辞令書 薩摩藩から郷士に準ずる身分となったことを証する辞令書で、これにより「奥」の姓を名乗ることが許されました。

 

 

 

 

 

 

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鹿児島県大島郡徳之島町亀津2918番地

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