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読み方 | あきはじんじゃ |
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史跡区分 | 神社及び聖地 |
所在集落 | 徳之島町亀津 |
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秋葉神社は、文献によると一村の祈願所として文化元年(1804)【注1】海上交通の守り神である讃岐の金毘羅宮の祭神大物主命(おおものぬしのみこと)と崇徳天皇(すとくてんのう)を勧請し、大名当(ふなたい・ふなわたり)に神殿を木造で新築したとあります。さらに天保3年(1832)【注2】小字新里(あらざと)に移したところ、潮風が強く神殿が台風のたびに破損したため、弘化4年(1847)【注3】再び現在の地に戻しています。神殿の横には船旅の安全を祈願する四つの石碑が建っています【注4】。
ところで、江戸時代において火事と旅の安全は庶民の大きな関心事でした。このためお伊勢参りや金毘羅参りと並んで火伏の神である秋葉権現が崇敬され、遠州秋葉参りが盛んに行われていました。大火に見舞われることの多かった亀津(かめつ)で秋葉信仰が始まったのもこのような時代背景があったと思われます。この神社は、神殿中央に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、左に先の金毘羅宮(こんぴらぐう)、右に火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)の三柱を祭神とし、いつの頃からか観音菩薩の化身で火伏の神秋葉三尺坊大権現(あきはさんじゃくぼうだいごんげん)も祀っています。神社の祭礼日は春秋彼岸の中日です。
〈注釈〉 | |
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【注1】 | 『徳之島事情』(明治28年、吉満義志信著)に宝永7年(1710)、大名当山(ふなたいやま)に弁財天堂を建て、今に祀るとの記述もあり、さらに100年近くも歴史を遡る可能性があります。 |
【注2】 | 同年、安住寺も伊仙(いせん)から亀津(かめつ)に移転しています。2月には井之川(いのかわ)・和瀬(わせ)両村で大火事がありました。 |
【注3】 | 前年に大飢饉となり、さらに亀津村で大火事が起き、仮屋(かりや)が全て焼失しています。 |
【注4】 | 一つには「文政8酉年(1825)三様(島津 重豪(しまづ しげひで)、斉宣(なりのぶ)、斉興(なりおき))之就□御祝儀上国仕候於山川成調翌戌三月持下之兼久噯與人(あつかいよひと)喜美實(きみざね)文政9戌8月吉日 奉寄進」とあります。石碑の一部は平成24年の台風16号で破損し、現在は三基残っています。 |
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