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読み方 | しきんとうばか |
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史跡区分 | 史跡 |
所在集落 | 徳之島町諸田 |
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シキントウ墓は諸田池の横にあり、石の座像の安置されている墓として古くから地域の人たちに尊崇されている墓地で、近くには寛文10年(1670)諸田池の完成に合わせて観音堂が建てられました。ここには次の人たちが葬られています。
1. | 伊地知 重張(いじち しげはる。1645~1692) |
鹿児島県史によると、伊地知重張は名僧といわれた文之 玄昌(ぶんし げんしょう)の流れをくむ儒学者竹内益祐の門下で、文武両道に秀で、その博識は遠く江戸にも知れていたといいます。延宝8年(1680)藩の文書奉行、記録奉行に任じられましたが、元禄5年(1692)文書採集のために徳之島に来島していた折に、この地で客死しました。享年47才でした。 | |
2. | 法元 太郎左衛門(ほうが たろうざえもん) |
徳之島前録帳【注1】によると、法元太郎左衛門は明和6年(1769)に徳之島代官所(当時亀津にあった)の見聞役(横目ともいい、いまの警察署長と裁判官を兼ねたような役職)として来島しましたが、安永4年(1775)に「亀津において御死去」と記されています。 | |
3. | もう一基墓石が建っていますが、墓石からは詳しいことが分かりません。【注2】 |
このシキントウ墓は、薩摩藩時代における歴史や文化の流れを知るうえで大変貴重です。
〈注釈〉 | |
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【注1】 | 徳之島前録帳 |
徳之島に残る古文書で、『面縄院家蔵前録帳(おもなわいんけぞうぜんろくちょう)』といい、歴代代官などの名前や事件が記録されています。 | |
【注2】 | 「前録帳」に1817年に友野平右衛門殿が亡くなられ、諸田村池之上(いけのうえ)へ葬ったという記述があります。 |
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