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読み方 | おきておおはちのちからいし |
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史跡区分 | 史跡 |
所在集落 | 徳之島町手々 |
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琉球王国が徳之島を支配していた1500年代半ば、掟大八【注1】という人が手々(てて)にいました。大八は石工の術に秀れていたために、琉球王に招かれて、築城にたずさわり、その勲功によって唐焼の酒器を褒美にいただいて帰島したといいます。その後、王の命によって加計呂麻(かけろま)の諸鈍(しょどん)城攻略にも参加して手柄を立てましたが、無念な戦死を遂げました。
ここの力石は、大八が力試しに用いていたもので、重量は800斤(480kg)もあるといいます。大八は、大変小柄な人物であったと伝えられていますが、この力石や石工としての活躍ぶり、武人としての活躍ぶりなどから人並み外れた人物であったことがわかります。
掟大八目の遺品は、代々、力石の残る保(たもつ)家で大事に保管されてきました。特に琉球王から下賜された酒器は、ベトナムの安南焼きといわれ、完形品としては極めて貴重な品です。この酒器は大八が諸鈍の戦いで負傷し、手々への帰途、この酒器を抱きながら「お母さんのお乳のようだ」と言って亡くなったことから「チーナントカラカラ(お乳のようなカラカラ)」と呼ばれています。大八の着ていた絹製の胴衣(どぎん)や保家に伝わるサジ【注2】とともに徳之島町郷土資料館に寄託展示されています。
なお掟大八目の墓は、手々ナードル墓地にあり、大八とその家来たちとともに祀られています。「アジ墓(ばか)」として力石とともに町指定文化財になっています。
〈注釈〉 | |
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【注1】 | 掟大八 |
掟は「ウッチ」と呼び、村の長を指す役職名です。 | |
【注2】 | サジ |
「サジ」とは古い時代ノロ神などの祭祀者が祭礼に用いた紋様織りの細長い布地です。 |
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