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読み方 | ほうこくじんじゃ |
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史跡区分 | 地福之島三十三聖地旧跡 |
所在集落 | 徳之島町手々 |
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徳之島最北端の地にある集落手々(てて)【注1】は、東から順にソギビエ、タチビヤ、タカチヂ、セーダビエと呼ばれる山々に囲まれた集落です。昔は不思議な現象が日常茶飯事に起こる場所であったため「カミドコロ」とも呼ばれ、数多くの伝説や妖怪話が残っています。
豊穀神社の建つ「カンギョウ(神川)グスク」という聖なる森も、かつては神様が羽の生えた馬に乗ってやってくる場所でした。村人は『木の枝一本たりとも損傷すれば、必ず天罰が下る』として畏れ、この森を守り続けてきました。
昔、手々の人たちは五穀豊穣と一家の幸せをコウガミ様(川神様)に託し、三つの川(カンギョウ、オウシギョ、ショウジゴウ)それぞれに祈願所を持ち、正月と8月の壬癸の両日に祭祀を行っていました。しかし昭和3年に豊穀神社ができると、間もなくこれらのコウガミ様も神社にまとめて祀るようになりました。
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神社の鳥居を抜けて鬱蒼とした森の中を50mほど上ると台地の中央に小さな祠が建っています。そこに400年余り前に活躍した手々の英雄2名(掟 大八目(おきて ううはちめ)と弓の名手政勝(まさかつ))と3カ所のコウガミ様が合祀され、手々の守り神とされました。豊穀神社初代の神主は盛 政勝(もり まさかつ)氏で、神社に祀られている弓の名手政勝の子孫に当たります。神社の名称は当時の小学校長 益田豊成氏によるものです。
〈注釈〉 | |
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【注1】 | 手々(てて) |
手々の呼び名は400年前の記録にも出てきます。方言で「岳」を「ティー」と呼ぶところからついたと考えられています。 |
『按司墓』へ | ![]() |
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