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読み方 | ぼませんこくが |
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史跡区分 | 史跡 |
所在集落 | 徳之島町母間 |
第1の線刻画 |
第3の線刻画 |
通称イシワラ(石原)と呼ばれる見晴らしのよいこの一帯は、古くは母間地区で一番大きい水田地帯でした。水源は西側に聾える井之川岳の一角から流れ出るムー山川から引かれていました。ムー山川界隈には、その昔、大ハブが住み着いているという伝説もありました。そのような黄金波打つ豊かな水田地帯の真ん中に線刻画の描かれた自然石群が根をおろしていたのです。説明の便宜上、上の方から第1の石、第2の石、第3の石、第4の石と名付けておきます。第1の石には頂上部分にや
等が掘られ、第2の石には線刻画があるという伝承がありますが、かすかにしかわかりません。第3の石には階段状の祭壇らしき削り込みがあり、第4の石には意味のはっきりしない
という線刻が掘られています【注1】。
因みに、この線刻画の描かれた自然石群のある区域は、古くは母間を治めるノロ(祭政一致時代の女性司祭)の所有地であったと伝えられ、第3、第4の石はノロの末裔の手で祀られていました。また、かつては全島のノロ達が集まって第3、第4の石の前で豊作祈願の祭りがなされたという伝承もあり、この線刻画石群はノロ祭祀と深く関わっていたことが判明しました。しかし、いつ頃線刻画が掘られたかについては、伝承がなくはっきりしません。
平成8年、この区域一帯が、徳之島開拓建設事業により開発されることになったため、地主の協力を得て町の管理に移し、文化財として末永く保存することにいたしました。
〈注釈〉 | |
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【注1】 | このほかシギョナシゴー周辺にも線刻画が発見されています。 |
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