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徳之島は、九州と沖縄の間に200km以上にわたって連なる奄美群島の有人島8島のひとつです。徳之島を含む奄美の島々は、かつてはユーラシア大陸の一部でしたが、約200万年前に大陸から分離しました。徳之島の面積は250平方キロメートル弱で、人口は約23,497人(平成27年国勢調査)です。
徳之島の山がちな地形の大部分は、青々と繁る照葉樹林と約1,000種の自生植物に覆われており、数多くの固有生物のすみかです。よりなだらかで耕作に適した地域では、焼酎という人気の高い蒸留酒などの製品に使われるサトウキビをはじめ、バナナ、パパイヤ、パッションフルーツ、柑橘類などが栽培されています。迫力のある断崖と広い白砂の浜が海岸線を取り囲み、その周囲に広がるサンゴ礁は海の生き物たちで溢れています。この島の大部分は、奄美群島国立公園の範囲に指定されており、また、2021年7月には奄美大島、沖縄本島北部、西表島とともに世界自然遺産に登録されました。
日本本土・沖縄・中国に挟まれた徳之島の位置は、この島の歴史と文化を形成しました。徳之島について知られる限り最も古い記録は8世紀のもので、日本の史書の中にこの島のことが言及されています。15世紀になると、徳之島は沖縄本島を首都とする琉球王国の一部となり、その後、1609年に九州の薩摩藩の配下におかれました。また、第二次世界大戦後、1953年に日本に返還されるまでの期間、徳之島はアメリカ占領軍の統治下にありました。
徳之島は現在、鹿児島県の一部です。船や飛行機で容易に訪れることができるこの島では、素晴らしい自然の景観や様々なマリンスポーツ、そして、島中が盛り上がる「闘牛」の試合をはじめとするこの島の文化を楽しむことができます。
本町は、鹿児島の南南西452km、太平洋と東シナ海の接線上に浮かぶ徳之島(周囲約84km)の東面にあって、東経129°、北緯27°45(亀津)に位置しています。太平洋に面した東海岸には、島をとりまくサンゴ礁が発達しており、干潮時には200~300mの沖合いまで広大な地続きとなります。南は本川で伊仙町と接し、西は標高645mの井之川岳をはじめとして天城岳などの一連の山岳によって天城町と境し、北は東シナ海に陥落しています。面積は、104.87平方km、東西4.5km、南北22.9km、耕作面積2,330ha、林野面積5,590haなどとなっています。
明治41年の島嶼町村制施行により、徳之島全島が3カ村(亀津・天城・伊仙)に区画されました。大正5年には、天城村が分割して新しく東天城村が発足し、徳之島町は4カ村になりました。その後、昭和16年には亀津村が亀津町となりました。
昭和21年には本土と分離され、アメリカ軍行政下におかれました。昭和28年には日本行政下に返還され、再び東天城村、亀津町として県政下に加わりました。昭和33年4月1日に亀津町と東天城村が合併して、徳之島町が発足、現在に至っています。
本町の気候は、四季を通じて温暖多雨の亜熱帯性海洋気候です。年間平均気温が21.9℃、年間降水量は1,881mmで、日本でも有数の多雨地帯です。平年の梅雨入りは、本土より1か月早い5月上旬、梅雨明けは6月下旬です。また、毎年6月から10月にかけて台風が接近・通過して降雨をもたらします。
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