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読み方 | あいただきあと |
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史跡区分 | 史跡 |
所在集落 | 徳之島町轟木 |
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集落の背後、山地の終わりの中腹地点「イー坂(ビラ)」周辺は、かつて藍染めの原料である藍玉の生産地でした。この辺りには藍溜(あいただき)と呼ばれる藍玉の製造施設跡が今も数カ所残っています。タダキとは、深さ1m、縦横1.5mほどの大きさに穴を掘り、自家製のコンクリート状のもので周囲を5cmほどの厚さに塗り固めて作られた施設です。コンクリート【注1】は現代の石灰に粘土や砂を混ぜて作りました。
そこへ藍の茎葉を敷き並べ、水にひたして石灰を加え、腐食を促します。3日ほどしたところで上水(うわみず)を除き、原液をニ連タダキに移して同じ作業を繰り返し、最後は底の原液を乾燥させて藍玉にし、染めに用いました。
大正の初めごろの記録では藍玉1斤が35銭で、染め衣(ぎぬ)1枚に10斤は必要だったそうです。当時の人夫賃が1日20銭、焼酎が1升8銭といいますから、かなり高額な商品でした。しかし需要も多く、轟木の人たちは島内各地を牛馬を使って売り歩いたそうです。かつてはタダキ周辺で豊年祝いも毎年行われ、山神に感謝をささげていました。
ここ轟木の山中に眠る藍溜に類するものは他になく、先祖の残した貴重な文化遺産となっています。
〈注釈〉 | |
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【注1】 | コンクリート |
セメントが徳之島に入ったのは大正12年のことで、それ以前は石灰や粘土を混ぜて作っていました。 |
『轟木神社』へ | ![]() |
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