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読み方 | なごりやまじんじゃ |
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史跡区分 | 地福之島三十三聖地旧跡 |
所在集落 | 徳之島町山 |
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ナゴリ山は山(さん)の里(さと)集落の一番奥まった高台になっています。標高は約80mで、登り口にある鳥居は昭和40年に建てられました。聖地周辺には石垣が積み回してあり、山頂には花崗岩が高く積み上げられています。また、祠の中には祭りに使われる太鼓と桶が置かれ、ノロの祭りとの関連性が窺われます。
ナゴリ山の下は上ノ当(うえんとう)と呼ばれ、この一帯を里といい山集落の発祥地と言われています。ここから上に屋敷を構えることは許されませんでした。なおナゴリ山のある里集落には、3カ所に殿地(とのち。琉球支配時代に役人やノロが住む屋敷)があって、この屋敷名のついた親墓(おやばか)と呼ばれる墓所がそれぞれ海岸に点在しています。またナゴリ山神社下には郵便局があり、その南東側には学校が建っているなど、明治・大正のころまでは山集落の中心地は里にありました【注1】。その後、港が整備されるにつれて海岸へと集落が広がっていきました。
なお、ナゴリ山は上ノ当の大山家がノロ役を勤め、この山で様々な祭祀を行ったと言います。大山家最後のノロ【注2】が亡くなった時には、祭り道具の一つである湯飲みを祠の地点に埋めたと伝えられています。
〈注釈〉 | |
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【注1】 | 里(さと)集落 |
山の郵便局は、明治11年にナゴリ山を下った正面にあたる阿多 前里(あた まえざと)宅に設けられました。初代局長は山 徳峯(やま とくほう)で、徳之島最初の学校を亀津(かめつ)に作った人です。郵便局は亀津と平土野(へとの)にも置かれましたが、山郵便局には明治30年に奄美大島から海底ケーブルが引かれるなど、大正時代まで徳之島の通信業務の中心地でした。 昭和4年には徳之島最初のコンクリート校舎も山に建てられ、今も小学校の資料館として残っています。 |
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【注2】 | 大山家最後のノロ |
この大山家のノロが徳之島最後のノロであったと言われています。なお山のノロは、かつて与路島(よろじま)もその支配下に置くほど大きな力を持っていました。 |
『親墓』へ | ![]() |
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