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更新日:2022年4月14日

溝川神社

読み方 じょうごじんじゃ
史跡区分 神社及び聖地
所在集落 徳之島町尾母

 

溝川神社祠

 

溝川神社を中心とした尾母略図

溝川神社の溝川は小字名で、都田鼻(トゥダバチ)【注1】から神社近くまで水が引かれていたことからついた地名だと考えられています。この祠【注2】は、村の氏神として古くから信仰されており、祝女(ノロ)神が祭神です。記録に「万暦37年(1609)の頃、大繁務免許図(おおはむめきょと)居て、この女徳之島最初の大繁務(オッカムとも呼ぶ)なり。祝女の階級は四位、免許図は女の名」とあります。「天宮古志来京(あまみやのこしらいきょう)」の祝女名でも呼ばれていました。神具である盃(サージキ)はその縁をこすると異様な音を発し、神が天降(あまくだ)りして枯井(かれい)に水が流れ出すなど威力を発揮したといいます。

なお溝川神社の近くにはカムィヤキ土器が出土することで知られる大谷山(フウダニヤマ。標高209m)があり、横は深い谷になっていて、本川(フンゴウ)が流れています。その向こう岸は伊仙町になります。尾母(おも)の人たちは大昔、この川の河口付近(本川貝塚がある)に暮らしていましたが、いつの頃からかこの地に定着するようになったといわれています。

 

〈注釈〉
【注1】 都田鼻(トゥダバチ)
  トゥダバチ(都田鼻)を水源とする井堰が神社まで通じていて、ノロ神と水神が結びついた信仰儀礼がいくつか伝承されています。ジョウゴノムィ(溝川森)は、松や椎の巨木が林立し、神域をかもし、かつては草木一本たりとも刈り取ることはタブーとされていました。
【注2】
  祠の前には、ノロの乗馬用として「マーヌイイシ(馬乗り石)」があり、神体または祭具として「ウッカンサージキ(大繁務盃(だいはむさかずき))」と「ウッカンハヤシキィ(大繁務瓶)」が祀られています。

 

 

 

 

 

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所属課室:社会教育課郷土資料館

鹿児島県大島郡徳之島町亀津2918番地

電話番号:0997-82-2908

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