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読み方 | しらみねじんじゃ |
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史跡区分 | 地福之島三十三聖地旧跡 |
所在集落 | 徳之島町徳和瀬 |
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白嶺神社の建つ徳和瀬(とくわせ)の森は古くからティラ山と呼ばれる聖地でした。文政3年(1820)、この地に御堂を建て観音菩薩【注1】の木像を安置、一村の祈願所としました。明治3年(1870)に廃仏禁制となり御堂は壊されますが、明治11年村民の寄付で一社を建築し白嶺神社と称して、雷神と学問の神である菅原道真公の神霊を歓請しました。文化財の指定台帳に
とあります。
ティラ山周辺は聖地に囲まれており、東の県道を挟んだ場所に積石山(ちんしやま)と呼ぶ古い墓地、反対側の西の山はアークントウという神迎えの聖地、そして南側には神浴川(かまみご)という小さな川が流れ、北側は墓所になっています。
なお、徳和瀬の本来の地名は「和瀬(わせ)」で、明治20年に名称変更されました。
〈注釈〉 | |
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【注1】 | 観音菩薩 |
文政2年(1819)秋に「和瀬村の溜池は天明2年(1782)に全面改修したが、そこに通してある樋が痛み、1,540人に及ぶ人夫を使って補修事業を行った」との記録があり、このことと観音堂建立が関係しているのかもしれません。なお1670年の記録にも「諸田村溜池出来、同村江観音堂初而建立、破損之後亀津江直シ建立(諸田村(しょだむら)にため池ができ、同村へ観音堂を初めて建立した。破損の後、亀津(かめつ)に建て直した。)」とあります。 なお観音菩薩は、仏教と共に日本にもたらされた神で、現世利益的な信仰が強く、あらゆる人を救い、人々のあらゆる願いをかなえると信じられていました。水瓶を持ち、そこには功徳水という、いくら使ってもなくならない水が入っているといわれています。 |
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