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読み方 | すいじんさま |
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史跡区分 | 地福之島三十三聖地旧跡 |
所在集落 | 徳之島町下久志 |
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水神様を祀るコウヌ山の森は、伝承によると大昔ノロの神様が馬をつなぎ、川で身を清めるなどの祭祀する場所でした。古くはこの神山を背にノロのトネヤやテラがあり、久志村(くしむら)【注1】はそこを始まりとして百軒ほどの家々が固まって存在していました。
大正時代になると銅山の開発が盛んになり、工夫が大勢やってきて、商店や古河鉱業事務所、病院などが建ち、村は大いに賑わいました。町指定文化財の「下久志(しもくし)棒踊り」もこの時代に踊られるようになりました。神社の鳥居はその時代に建てられたもので、「古河鉱業株式会社大島事業所」などと刻まれています。
水神様は、かつて今の教会が建っている辺りにあり、祠の中にイビガナシとして祀られていましたが、明治になってコウヌ山と呼ばれる神山【注2】に神社を建てた際に移し、家内安全、五穀豊穣を祈願するようになりました。
祭礼日は旧4月壬辰(みずのえたつ)の日、旧9月癸巳(みずのとみ)の日で、祭神はアマンナイクラというノロ神様です。そこへ地元の人たちが盛んに行っていたミズガミ信仰も加わり、水神様として祀られるようになったと考えられています。
神社の横にはシギョウ川が流れ、その源流はユネィムトゥ(「井の元」か)といいます。今も春秋の彼岸には水取り神事を行い、水が枯れることのないように祈ります。ノロのいた時代はそこからガギンサク(水神迎えの地)を経てコウヌ山に至り、浜へ通じる神道(かみみち)がありました。
〈注釈〉 | |
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【注1】 | 久志村(くしむら) |
下久志は元は「久志村」といいます。明治20年に県告示により改称されました。 | |
【注2】 | コウヌ山 |
コウヌヤマは古くからの神山ですが、テラと呼ばれる場所はかつて別の場所にありました。神社を神山に建てたことでコウヌヤマをテラヤマとも呼ぶようになったと考えられています。 |
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