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読み方 | すがわらじんじゃ |
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史跡区分 | 神社及び聖地 |
所在集落 | 徳之島町花徳 |
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藩政時代、徳之島では広く石神信仰が行われていましたが、明治3年の廃仏毀釈運動【注1】により廃止され、高千穂神社を手初めにその多くが神社へと姿を変えました。宮城山(みやぐすくやま)【注2】山頂にある菅原神社もかつては石神を祀っていましたが、花徳(けどく)の林貞起氏によって菅原道真公(雷神様・学問の神様)の神霊を勧請し、菅原神社と呼ぶようになりました。現在では、島内の高校や大学への受験の合格を祈願し参拝するほか、春秋の彼岸に氏神として村人が祭っています。
ところで、宮城山はかつて東天城一帯を支配する花徳按司(支配者)の居城でした。当時は天城の大城按司(ふうぐすくあじ)が徳之島一番の按司でした。花徳按司はこれを倒そうと、一度は武力で挑みましたが勝つことができませんでした。そこで体格に勝る花徳按司は、今度は角力(すもう)での勝負を申し込みました。しかし、これも大城按司の機略にあって失敗し、逆に大事な馬を取られてしまいました。このままでは我慢がならない花徳按司は「大便賭け」という勝負を最後に挑みます。ところが、よく濾した芋ばかりを食べてきた大城按司は立派な大便をし、うまい魚ばかり食べてきた花徳按司は下痢をしてしまったそうです。以後、花徳按司は忠誠を誓って争いをやめたと伝えられています。
〈注釈〉 | |
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【注1】 | 廃仏毀釈運動 |
廃仏毀釈とは仏教を排斥して寺や仏像などを壊すこと。明治の初めに神道を定着させるため、薩摩藩においては特に激しい廃仏運動が断行されました。しかし、明治9年にこの政策は中止されました。 | |
【注2】 | 宮城山(みやぐすくやま) |
宮城山は、国土地理院に記載された鹿児島県の山の中で一番低く、58.4mです。まるで人工的に作られたかのような独立した円形の山です。この形からビンダレ山、又はすり鉢山(ばちやま)との愛称で親しまれています。 |
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