徳之島学へのいざない―とくのしま今昔―
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▲「⼤おお島しま郡ぐん管かん内ない地ち圖ず」のうち徳之島部分(昭和の初め頃の地図)▲東天城郵便局(徳之島町山さん)*2021年4⽉19日に移転する前の局舎。写真中央の⾚囲みに「東天城郵便局」の文字。▲ 合併にむけた動きを伝える「南⻄⽇報」(昭和33年3⽉9日)明治41年(1908)には島とう嶼しょ町ちょう村そん制せいという新たな制度が実施され、徳之島では⻲かめ津つ村そん、天あま城ぎ村そん、島しま尻じり村そん(のち伊い仙せん村そん)という3つの村そんが誕生しました。このとき、山村外五村(山さん方ほう)は阿布木名村外九村(阿あ布ぶ木き名な方ほう)と一つにまとめられ、天城村となりました。しかし、大たい正しょう5年(1916)に天城村から分かれて東ひがし天あま城ぎ村が発足しました。「東天城郵便局」、「東天城中学校」という名称がその歴史を今に伝えています。5,000人以上の人口、官かん公こう署しょがそろっている、市街地が形成されている、などの要件を満たしたため、昭和16年(1941)に⻲津村は町ちょう制せいへの移行を申請しました。この申請は県けん議ぎ会かいにおいて満場一致で承認され、翌年1月1日に⻲津村は⻲津町ちょうとなりました。その後、敗戦・アメリカ軍政下・日本復帰を経て、昭和33年4月1日には⻲津町と東天城村が一つとなり、徳之島町が誕生しました。「昭和の大合併(第2次)」といわれる国の政策であり、奄美大島においても4町村が合併して瀬せ⼾と内うち町ちょうが発足しています。19徳之島は3つの村そんに徳之島町の誕生『通史編Ⅰ』第5章第1節、『通史編Ⅱ』近代編第3章第1節〜第3節、第9章第4節、『通史編Ⅱ』現代編第2章第4節

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