徳之島学へのいざない―とくのしま今昔―
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砂さ鉄てつ層そう図4:海面が100m下がった徳之島(表示の海の水深は海面が下がったときのもの)図5:金見崎のサンゴ礁(礁しょう原げん、礁しょう池ち、砂浜、砂丘に分かれる海岸)図6:石灰岩の岩に空いた無数の穴 (縄文海進の頃、岩の上にあった石ころによって、徐々に削られて無数の穴になりました)▲ 山さんの浜や川で見られる砂鉄層*縄文海進後に海面が下がった理由として、海水量が増したことにより、地殻の厚さが10km前後しかない海底が、縄文海進後もその重みで徐々に沈み続けたのであろうと考えられています。(日本第四紀学会Q&Aから)⻲津を囲む段丘面はその最下部の段丘になり、10万年余り前はここが海岸線でした。地球はこの50万年ほどの間、約10万年周期で寒冷期と温暖期を繰り返していて、このうち9万年近くが寒冷期にあたります。このまま地ち殻かく変へん動どうがなかった場合、寒冷期には、海面が現在より130m以上下がり、温暖期になると現在の高さに戻ります。図4は、寒冷期に海面が100m下がった場合の徳之島です。徳之島町側の沖合は、約5km前後まで陸地になります。サンゴ礁徳之島の海岸線には東部と南部を中心に大きなサンゴ礁が取り巻くように発達しています。現在のサンゴ礁は、今から約7,000年前から成⻑をはじめ、約3,000年前には現在に近い状態に発達したと考えられています(図5)。寒冷期の海岸線は今よりかなり沖合にありましたが、18,000年くらい前から始まった地球温暖化により、高さ数千メートルもあったユーラシア大陸や北アメリカ大陸北部の氷河が一気に溶け出し、海面が100m以上も上昇しました。この上昇は「縄じょう文もん海かい進しん」と言われ7,000年ほど前にピークを迎えました。現在の海面は、ピーク時よりも5mほど下がっています*。これによって徳之島には独特な景観がもたらされました。その一つが町文化財指定になっている花徳の⿊くろ畦あぜにあるポットホール群(図6)と、海岸に点在するノッチ(サンゴ礁の首がスプーンで削り取られたように細くなっている)です。9『自然編』の第1章徳之島の砂浜は真っ白です。島の南部に広がる浜を歩くとサンゴや貝殻のかけらでできているのがわかります。でも北部地域の砂浜は細かな粒子でできていて、キラキラと光って見えます。これは、サンゴや貝でできた砂に花か崗こう岩がんが風化した砂がまざっているためです。花崗岩には、石せき英えい(キラキラ光る)などの鉱物のほかに磁じ鉄てっ鉱こうやチタン鉄鉱などが含まれています。これに硫い⻩おう鳥とり島しまからの火山灰(ここにも鉄鉱物が含まれる)も加わって、砂浜などに砂鉄の層をつくっています。砂鉄は鉄をつくる材料になりますが、重い鉱物なので、水を流すと砂や土だけが流れて簡単に集めることができます。山さん集落には、炭焼き窯かまや古い鍛か冶じ炉ろ跡が見つかっていますから、詳しい歴史はまだわかっていませんが、昔は徳之島で製鉄も行われていたことがわかります。

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