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ホーム > 町の紹介 > 徳之島町について > 徳之島町のおいたち

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更新日:2012年9月28日

徳之島町のおいたち

琉球王統治のころ

徳之島の名が初めて史書に現れたのは、文武天皇3年(699年)で度感(徳之島)が初めて大和朝廷と通じたとされます。

本町が行政区域の一つとして統括されたのは、弘長3年(1263年)に琉球北山王から派遣され「首里の主」来島以来であるとするのが通説になっています。徳之島は三つの間切(東間切、面縄間切、西目間切)に役所がおかれ、行政が行われました。この三つの間切のうち、東間切が今日の徳之島町の前身といえます。

薩摩藩政のころ

慶長14年(1609年)に薩摩藩が琉球を征服し、奄美群島もその統治下に入りました。

徳之島は3間切、6曖(アツカイ)の行政単位に分割され各曖(アツカイ)は与人以下の島役人によって治められ、その上に代官を中心とした藩長出先役人が支配権の一切を握りました。

薩摩藩は、明治4年(1871年)の廃藩置県を経て明治8年(1875年)の戸長制が敷かれるまで266年間、その支配権を維持していました。

明治から町発足まで

明治8年に藩政が廃止され、亀津に徳之島支庁が設置されて、民選の正副戸長によって行政事務が行われました。

明治21年徳之島の行政区画は四区に分けられました。連合村を組織し、四か所の戸長役場を設立して官選の戸長と若干の用掛をおき、各村には組世話人をおいて役場の事務を補佐させました。

明治41年に島嶼町村制が施行され、全島を三か村(亀津、天城、伊仙)に区画し、各村に官選の村長、収入役、学務委員、書記、技手、区長がおかれました。

大正5年、天城村が分割して新しく東天城村が発足し、徳之島は4か村になりました。

昭和16年に亀津村が町になり、第2次世界大戦も激戦となった昭和18年末には、大島支庁徳之島出張所が設けられました。

昭和21年には本土と分離され、アメリカ軍政下におかれました。同年、第1次通貨切換が行われ、また、全郡市町村長、議員の初の公選が行われました。

昭和28年日本行政下に返還され、再び東天城村、亀津町として県政下に加わりました。昭和29年には、奄美群島復興特別措置法が公布されました。

昭和33年4月1日に亀津町と東天城村が合併して、徳之島町として発足、現在に至っています。

お問い合わせ

所属課室:総務課総務庶務係

鹿児島県大島郡徳之島町亀津7203番地

電話番号:0997-82-1111

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