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西暦 |
年号 |
おもなできごと |
---|---|---|
699 |
文武天皇3年 |
7月徳之島(度感)はじめて大和朝廷と通じる |
701 |
大宝元年 |
太宰府管轄下にはいる |
715 |
霊亀元年 |
正月再び大和朝廷へ朝貢 |
824 |
天長元年 |
10月大隅国に編入、交通不便などの諸悪条件が重なり、大和朝廷との結びつきが次第にうすれる |
1264 |
弘長3年 |
徳之島第一島主「首里の主」来島。琉球統治下にはいる |
1609 |
慶長14年 |
3月薩摩藩、琉球征討薩摩治下にはいる |
1616 |
元和2年 |
薩摩藩の奉行役所が亀津におかれた。初代奉行相良勘解由。(沖永良部島と与論島は徳之島の管轄統治) |
1639 |
寛永16年 |
奉行を代官と改称(13代目野村隼人から) |
1690 |
元禄3年 |
沖永良部島分離 |
1750 |
寛永3年 |
横目(役職名)設置 |
1816 |
文化13年 |
母間騒動おこる |
1829 |
文政12年 |
三島法執行される(砂糖総買上実施、金銭通用停止) |
1869 |
明治2年 |
高千穂神社を建立 |
1870 |
明治3年 |
代官を在番、附役を筆者、横目を検事と役名を改称 |
1872 |
明治5年 |
安住寺跡で徳之島での学校教育はじまる |
1873 |
明治6年 |
3月大蔵省から砂糖売買自由勝手許る |
1875 |
明治8年 |
7月藩制を廃止。徳之島支庁を亀津におき、民選の正副戸長が行政事務を行う。金銭使用始まる |
1876 |
明治9年 |
4月明治4年の太政官布告が広告され、散髪、服装、脱刀などが自由になる(亀津断髪の始まり) |
1878 |
明治11年 |
亀津に教育養成所設立、亀津・東天城郵便局開局、大島警察署徳之島分署設立 |
1879 |
明治12年 |
6月徳之島支庁を廃止し大島郡役所の徳之島出張所がおかれる |
1880 |
明治13年 |
戸長、副戸長の民選を廃止し官選になる |
1882 |
明治15年 |
戸長公選、副戸長を勧業員と改称 |
1883 |
明治16年 |
農商務省から2人の技官来島し砂糖振興講習会を開く |
1885 |
明治18年 |
郡役所廃止、金久支庁開設 |
1888 |
明治21年 |
戸長役場を四区に統合、東天城役場を山に設置 |
1891 |
明治24年 |
定期航路開かれる |
1908 |
明治41年 |
島嶼町村制の施行で東天城村が天城村に吸収合併、戸長が村長と改称、小学校4年義務制が6年制になる、亀津に初の青年団結成 |
1911 |
明治44年 |
喜界島近海を震源とした大地震発生(奄美・沖縄で死者7人、全壊家屋418戸) |
1912 |
大正2年 |
消防組設置 |
1913 |
大正3年 |
亀津・平土野間に県道開設 |
1915 |
大正5年 |
5月東天城村、天城村から分散独立 |
1919 |
大正8年 |
花徳郵便局開設、亀津大火災(被害総額32万円) |
1920 |
大正9年 |
普通町村施行、官制の村長を廃して公選になる |
1923 |
大正12年 |
9月電灯が灯る |
1924 |
大正13年 |
東天城村役場を山から花徳へ移転、母間郵便局開局 |
1925 |
大正14年 |
4月花徳に県蚕業模範場が設立 |
1926 |
昭和元年 |
山・花徳間県道完成7月徳之島分署が徳之島警察署に昇格 |
1928 |
昭和3年 |
手々神社創立 |
1929 |
昭和4年 |
母間・山小に初の鉄筋コンクリート2階建て校舎完成 |
1933 |
昭和8年 |
トラックが移入 |
1941 |
昭和16年 |
12月亀津村を亀津町に改める |
1946 |
昭和21年 |
2月日本国土と行政分離、米軍政下におかれる7月亀津町立女学校創立 |
1949 |
昭和24年 |
徳之島高等学校創立 |
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