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昭和23年に初土俵を踏んだ朝潮太郎は、当時の奄美群島が米軍統治下に置かれていたことから「神戸出身」と紹介されていたが、本土復帰後は「奄美徳之島出身」とアナウンスされるようになり、多くの島民がラジオ放送に釘付けになり熱狂した。昭和34年に横綱に昇進すると、同年4月17日に徳之島へ凱旋。亀津永浜には1万人以上が集まり万歳の歓声に包まれたと報じられている。
偉業を紹介するため出身地の井之川に建てられた記念館(令和2年開館) |
昭和4年11月13日生まれ(本名:米川文敏) 昭和17年神之嶺国民学校高等科卒業。昭和23年高砂部屋入門、昭和25年秋場所新十両、昭和26年春場所新入幕、昭和27年朝汐太郎襲名、昭和28年初場所新関脇、昭和32年夏場所新大関、昭和34年第46代横綱となる。昭和37年引退まで優勝5回、殊勲賞4回、昭和46年高砂浦五郎襲名、日本相撲協会理事として昭和47年から昭和56年まで審判部長、昭和57年から巡業部長。 昭和63年10月23日没。 昭和57年徳之島町名誉町民 |
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写真:身長188cm、体重135kmの恵まれた体格を活かし横綱の地位まで上り詰めた朝潮太郎関(ベースボールマガジン社「昭和の名横綱シリーズ10」より) |
2年3ヵ月で幕入りし朝潮太郎の名跡を授かり、故郷に凱旋した潮太郎(「高砂浦五郎一代奄美本土復帰30周年記念大相撲徳之島場所」より) |
朝潮太郎のブロマイド | 週刊誌の表紙を飾った朝潮太郎 |
朝潮太郎は、子どもから大人まで好かれる人気スポーツ選手だった。 |
昭和36年大阪春場所、13勝2敗で5度目の優勝を遂げた“春場所男”朝潮。しかし、これが最後の優勝となった。(「高砂浦五郎一代奄美本土復帰30周年記念大相撲徳之島場所」より) |
昭和37年5月25日、蔵前国技館での引退土俵入り。太刀持ち大鵬(横綱)、露払い柏戸(横綱)。(「高砂浦五郎一代奄美本土復帰30周年記念大相撲徳之島場所」より) |
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